2011年7月24日日曜日

趣味は充実する

仕事がないと当然帰宅が早いわけで
定時上がり番長である。18時に退社して、部屋に着くのが19時前後。テレビ番組で言う所のゴールデンタイムではないか。平日のゴールデンタイムに部屋に居ることなんて、保守フェーズでよっぽど暇な時か今みたいに次の仕事が決まらない時くらいである。そうそうあるもんじゃない。と言って、テレビは見ないのだけれども。

地デジ地デジと騒いでいるのをよそに
そんな早くに帰って来てテレビを見ずに何をしているのか。PC に向かってツイッターと動画サイトを見てたらいつの間にか日付が変わっていた(その間5時間だと思うとゾッとする)事もあるが、最近は Processing と Chuck を連携したちょっとしたサウンドアートを作ってみたのと、楽器の練習、周期的にプレイしたくなる Angband というローグライクゲームで遊ぶ事が多い。Angband というゲームは20年も前に作成されたフリーソフトで、デフォルトでグラフィックも音も無く、文字だけで全てを表現した RPG。映画「ロード・オブ・ザ・リング」の原作となった「指輪物語」の前史にあたる「シリマリル物語」を下敷きにしている。詳しくはウィキペディア*ではなく*、アンサイクロペディアを参照してほしい。実は「指輪物語」は9巻(+追補編が1巻)もある事に尻込みして未読である。

途切れた趣味(?)が急浮上
今年に入ってすぐくらいだろうか、英語について「英語でツイッターに投稿して身につけよう!」といった類の本が気になりだして、「英語100語日記」という本を購入した。日記ではないが1日1ツイートを心がけて、添削してくれる友人がいたおかげで1ヶ月ほど続いただろうか。それが震災で頭から吹っ飛んでぱったりやめてしまった。それがここに来て英語で面談という事態が発生した。今更ジタバタしても仕方がないという気持ちが半分あるものの、「英語100語日記」が結構読みやすく出来てて、文型と時制は頭に入れておこうと頑張っている。ただ、これも友人から指摘されたことだけど、聞き取れないと始まらないんだな……

2011年7月18日月曜日

仕事がない時

仕事の方は、幾度かの面談と打ち合わせを経て
……決まっていない。困ったことに、未だに仕事が決まらないでいる。初めはいつもと変わらない面談で始まったのだが、回数を重ねる度に状況がややこしいという事に*面談する側が気づいた*という有り様。こんな事は初めてである。そんなこんなで1ヶ月半が経過してしまった。
さあ、仕事がない。といって、まだ30日くらい残ってる有給休暇を惜しげもなく投入する度胸もなく、自社の借り物の席で(客先常駐が長すぎて自席がない)簿記の勉強を始めた。3級である。思えば簿記にまったく触れたことがない状態で ERP の仕事に携わって、諸先輩方に揉まれてどうにかこうにかこなしてきた。そうして紛いなりにも仕訳の知識が身についていたので、参考書の前半はそう苦労しないで進む。手形から決算あたりから本腰を入れていく。

移り気が激しいもので
そうは言っても一日八時間近く簿記だけを勉強するというのは飽きる。飽きると頭に入らないものである。元々趣味が多い私だが、それに関して一つ持論があって、「興味を持ったその時に出来るだけ情報を集める」というのがそれ。音楽で言えばシンセサイザーに凝って雑誌やネットから欠かさず情報を仕入れていた時期があった。それが今ではジャズトランペットや尺八に興味が移っており、「シンセの新製品が出た」と聞くと一応チェックはするけれど音源方式や同時発音数といった基本的なスペックすらおぼろげ。そんなものである。話を戻すと、簿記の参考書を開いて勉強した気になれるのはせいぜい2時間。残りの時間、本を開いて目を開けてても、まるっきり頭に定着しない。

学校の授業って毎時間教科が違う
そんな当たり前の事を忘れてて、思い出すと当時の自分が眩しく見える。今でも頭がキレる人というのは様々な報告が上がってきても瞬時に頭を切り替えて、「ああ、それはですね」とさばく。そういうタイプはたいてい記憶力も良い。眩しいぜ。話を仕事がなくて簿記の自習をしてることに戻すと、時間の使い方をこれまでのようにプログラムの開発で仕様を考えるとか必要な資料をまとめるといった一色に染める一日ではなく、ある時間は簿記、その後は Java をメインにプログラミングを勉強する事にした。Java は需要がありそうなのだ。あとはこっそり個人的な興味で関数型言語、中でもエディタの Emacs に付属している Emacs Lisp を動かしてみる。Lisp はカッコだらけでかっこ悪いと悪名高い言語だが、使うカッコは丸カッコ一種類のみだし、慣れれば大したことない。次の仕事が決まるまで、そんな一日を過ごしていく。

2011年6月27日月曜日

訃報など、この1ヶ月間

5月29日(日)、祖母が他界した。享年95歳。
当時通っていた客先が5月いっぱいで契約満了となり引き揚げ、6月最初の週を休暇にあてる予定でいた。それが、5月30日(月)の午前を客先の引き揚げとご挨拶にあてて午後はそのまま帰省、本来の最終日である翌31日は忌引きという、少し変則的なことになった。なお、日曜日に連絡をもらったその時に帰省する気持ちがあったのだが、親から「慌てて帰って来るな」と言われたおかげで、踏みとどまって綺麗に仕事を片付けることが出来たと言える。さすがは親である。

前後して5月14日(土)、尺八の先生である松本宏平氏の古典本曲演奏会。
事前にスタッフとして会場の設営や受付を手伝ってほしい旨を伺っていた。会場が寂円寺というお寺なのでジーパンにTシャツという訳にはいかず、ややフォーマルな服装で臨んだ。演奏会は古典の演奏と各曲の説明に尺八の説明、尺八の演奏にまつわる歴史といった講座をミックスしたもので、身内で言う事ではないけど言わせてもらうと、とても充実していた。次回が予定されているので、ご来場いただけると楽しめるのではとお薦めしたい。それと、服装はご自由に。わりと大丈夫。

「古典本曲の現在」VOL.2
@寂円寺 至心閣(文京区)
OPEN/START - 13:30/14:00
CHARGE - 1500YEN(檀信徒様500YEN)

古典本曲の演奏会があって、実家で葬儀があって、6月。
2週目から出社したものの仕事が決まらず、なんともうすぐ7月という今の今までほとんどが自習というありさま。営業曰く、震災後にシブくなったらしい。ただし、震災以前からあった話にしても単価があまりにも安いなど、いいニュースがとんと聞かれない。そうこうしているうちに夏風邪をひいた。これがまた、治ったと見せかけて盛大にぶり返し、非常に治りが遅い。たまりかねて病院に行ったところ、鼻炎が見つかった。折しも猛暑続きで、布団をかぶってガッツリ発汗するのはいいが体力の消耗も半端ではない。しまいには、祖母の葬儀と、その後でたまたま見つけたエッセイマンガ「坊主Days」「お寺とみんなの毎日」の影響で般若心経の暗記に挑戦してみた。半日でやっと1/4ほど。歌詞や台詞と違ってほとんど意味が解らず、音というか字面というか、それだけで憶えるので先が長く気が遠くなる。それはともかく、風邪でこれほど辛い目にあったのは初めてかもしれない。皆様もどうかご注意を。

2011年5月1日日曜日

実行

5月になってしまった。
4月の前半は仕事が忙しかった。休日出勤もあり、内容もデリケートでタイトなスケジュール。それが終わると今度は仕事の密度がガクンと減って、集中力を維持するのが大変になった。そしてゴールデンウィーク。今の仕事を引き継ぐ方の方々は正念場で連日出勤されていて、引き継いで去る方の私は電話連絡があれば電話口で対応、よっぽどの事となればスクランブル発進である。


短歌を詠んでみた。
今の職場に昼休みになるとやってくる保険会社のお姉さん。お手製のペーパーを配ってるのだが、表面がスポーツ新聞から抜粋した記事で、裏面は新聞5紙のコラム(天声人語とか)を集めてコピーしたもの。転載許可を得ているとの但し書きがついている。このコラムを集めたもの、文章量が丁度良いのと各紙の読み比べが出来るのでとても気に入っている。1週間か1ヶ月でまとめて小冊子にして出版されたら買いたいと思うほど。
その中、読売新聞で取り上げていた「震災歌集」がとても気になった。まず、著者は俳人とのこと。それが3月11日のあの時から次々に沸き起こってきたのは短歌で、緊急出版に踏み切ったとある。何首か引用されていて、ダイレクトに突っ込んで来る言葉に驚いた(4月19日付 よみうり寸評)。その日が発売日で仕事帰りに大型書店に寄って買って帰って読んだ。それまで短歌といえば万葉集なり百人一首で、言葉の裏の意味が読み取れないと理解出来ない物だと思っていた。それが見たまま感じたままの言葉で詠まれているので、一首一首が弾丸の様である(蝉丸ではない)。
見たまま感じたままの言葉で、あとはちょっとの趣きのある言い回しがわかれば自分でも詠んでみたいと思った。すると、「震災歌集」のあとがきによればブログがあって既に多数投稿されているとのこと。さっそく見に行って、その数日後には投稿してみた。季語と歳時記より季語歳ブログ。今では2首掲載して頂いている。


尺八の稽古。
月に一度通っている尺八の稽古。昨年中に古典本曲の「本調」の楽譜を頂いたのだが、いまだに甲音(かんおん/1オクターブ高い音)が安定せず入門書を脱せずにいる。それは単に練習が足りないせいで、トランペットはプラクティスミュートや YAMAHA サイレントブラスを使って音を小さくできるけれど、尺八はそうはいかない。早く帰れた日は部屋でラジオの音でごまかしつつ音を出していたけど、今月はなかなかそういう時間もとれず、惨憺たるものだった。
しっかりしなきゃと思いつつニコニコ動画や YouTube で「尺八」を検索すると思った以上にヒットする。それぞれ特徴が出てて面白いのは、ニコニコ動画は日本の伝統楽器でアニメやゲームの曲を演奏してみたもの、YouTube では海外の方々が尺八に挑戦してアップしているものが多い。今回聴きたいのは「本調」という曲でなかなか見つけられなかったのだが YouTube で見つけたのは海外の女性が演奏しているものだった。その方のホームページがあって見に行ったところ、オーストラリアのシドニー工科大学で教授をしている博士。Max/MSP のパッチやらブレッドボードやら、コンピュータープログラミングと電子工作系のコンテンツが並ぶ。私は元々そっち方面をかじっていて、思いがけず再会を果たしたような奇妙な気持ちになった。


パンを焼いてみた。
これは何がきっかけなのか自分でもはっきりしない。昔「焼きたて!!ジャぱん」というマンガが(途中まで)好きだったのと、そこでも描かれていた「炊飯器で作るパン」が後に買った炊飯器レシピ本にも載っていたのと、ゴールデンウィークで時間に余裕が出来たのとが重なって「やってみるか」となった。結果から言えばカレーを作るより簡単。おいしく出来た。

2011年4月2日土曜日

花見

花見の頃合いはもう少し先だけど自粛だ何だと騒々しいので、ここはひとつ参考まで。

岩波文庫の「武士道」を読み直した。
震災以降どういう心構えでいたら良いのかまとまらないのと、不謹慎や自粛というのが私ら日本人に備わった美徳にあるとするなら、と。すると、花見を推奨していた。以下、引用。

創造者自身馨(かんば)しき香りをかぎてその心に新たなる決心をなしたもうたと記されたるを見れば[創世記8の22]、桜花の匂う好季節が全国民をその小さき住家の外に呼び出すに何の不思議もないではないか。たとい彼らの手足が暫時労苦を忘れ、彼らの胸が悲哀を忘れても、これを咎めるな。短き快楽が終われば、彼らは新しき力と新しき決心とをもって日常の業に帰るのである。

都知事がどう言ったのか改めて調べてみると「痛みを分かち合って連帯感を」と言っていて、あまり擁護したくない人なんだけど、この点はわかる。で、これらを両立するものがちゃんとある。

陰膳
その場にいない人の無事、亡くなられた方の冥福を祈って食事を用意するもので、マンガ「蟲師」で読んだ人もいるかと。ちゃんとお膳を用意するのは大げさにしても、ここはひとつ、盃なり缶ビールなり奉げて乾杯としたい。

2011年3月27日日曜日

経験—追記—

26日は変更ながら決行
上記リンクはライブイベント「external music party part 7 “震災後”」のブログエントリである。今でこそ”震災後”とあるが、発表時(2月14日)は「音楽の外側で音楽を感じる“ラジオを奏でる”」だった。場所は仙台。約1ヶ月後の3月11日、震度6の地震が襲った。

私はこのイベントを見に行くことを決めた。
主催する com4jai 氏とは私が所属していたパフォーマンス集団方法マシンの活動を通じて知り合い、第23回<東京の夏>音楽祭2007参加公演“手順派”合同祭『極東の架空の島の唄』では行動を共にして映像撮影と編集を担った方である。東京に来られる事が度々あり、都合が合えばよく一緒に飲み食いした。
その人が迷った末にライブを決行するという。それを知ったのは仕事を終えて帰宅中に見たツイッターで、それを知る直前に私は5月のゴールデンウィークに仙台に行くつもりで「ひとつ計画があって節約する」とツイートしていた。ある程度復興が見込まれて、交通もなんとか正常化する頃だろうという目論見があってツイートしたのだが、送信ボタンを押すまでのタイムラグで前後してライブ決行を知ると、この時点で1ヶ月前倒しして行く気になっていた。部屋に帰ってさっそく交通手段を探すと、あっさり高速バスがつかまった。そうとなればスケジュールの問題で、ライブの翌日の昼に尺八の稽古があり、稽古をキャンセルして宿泊するか、朝出て夜行で帰って来て一休みしたら稽古に行くか。後者を採った。

震災後の仙台。
仙台へは10年前に一度行ったことがある。友人が仙台にいたことと、せんだいメディアテークでテレビゲーム展が開催されるという事で、新幹線で日帰りした。それを今回は片道6〜8時間かけてバスで移動。往きの車中では持参したラジオでFM局を聴いていた。初めTokyo FMで、FM ふくしまが入るようになって、FM 仙台がクリアになって到着。
仙台駅近くのコンビニはガラスに新聞紙が貼られて中が見えない状態でどこも閉まっていた。ファストフード店も同様。ファミリーレストランやラーメン店などのようなところは開いていた。せんだいメディアテークへ行く途中の大きな商店街「クリスロード」ではシャッターを下ろしている店が目立ったが、人は多く賑わっていた。店先でお弁当やお惣菜を売って声をあげている店員さん、駅から少し離れて開いていたミスタードーナツやたいやき屋さんには長い行列が出来ていた。メディアテークは休止してて、中では作業員の方々が集まってミーティングをしているようだった。その先の公園をぶらついて橋を渡り、川の近くに降りて暇つぶしにトランペットをミュート装着で30分ほど吹いた。美術館や博物館は全て休館、仙台城跡は入り口まで行けて、伊達政宗像の所までは行けなかった。公園ではキックベースボールで遊ぶ子供たちがいた(懐かしい!!)

いよいよライブ。
パンゲア仙台に到着。徐々に人が集まって来ておしゃべりの中で情報交換が広がる。電気が通るまで何日かかったか、まだ水が出なくて水を汲んでる、津波にあって九死に一生を得た方のこと、ガソリン不足、取引先から売上金を回収できないなどなど。問題は山積。だけど、前向き。前を向くしかないにしても、悲壮感とは違う。パンゲアに集まった方々がそうだし、私が直接見ることが出来た杜の都仙台の商店街や公園でそうだった。今回PA抜きという制約の中で出演される皆さんはアコースティック楽器、電池駆動の機材、かぶり物(!)など駆使して演奏を繰り広げた。おそらく地震があったからといって、PA抜き以外に特別なことをしたのではなく、いつものライブのテンションで出し切っていたんじゃないかと思う。持ち時間の間、集中して。仙台でそれを見ることが出来たのは、予定通り帰れるのか不安を抱えてまで来た甲斐があったという物である。これは前述の東京音楽祭で三宅島に行った時もそう。ちょっと違うけど地震直後に5時間歩いて帰ったのもそう。私は懲りるんじゃなくて、自信をつけている。


追記
始めから書くつもりで忘れていた。時を同じくしてこの方々も動いていた。
「新・方法」災害支援ボランティアへの応募
http://7x7whitebell.net/new-method/adrv_j.html

2011年3月20日日曜日

祈願

東北地方太平洋沖地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被害を受けられた皆さまとご家族にお見舞い申し上げます。

3月11日の地震があった時、仕事中だった。
現在の職場は港区にあり、相変わらずのデスクワーク。緊急度が高い仕事をひとつ抱えていて PC に向かっていたところ、横揺れが始まった。だんだん強くなるのではなく、弱から強に切り換えたように揺れた。窓にかかるブラインドが大きく揺れて、それがガチャガチャとぶつかる音が一番大きかった。大きな揺れは2回あり、その間にビルのアナウンスでエレベータを停止したことが告げられたが、外に避難することはなかった。その外を見ると、お台場の方で黒煙があがるのが見えた。そのまま視線を移すと、旅客機は何事もないかのように空を飛んでいる。仕事に戻ろうと努めるが、とても手につかなかった。一方で、プロジェクトの維持と統括を担う方々が買出しに出かけて、帰宅できない方々を主な対象にパンやバナナ、お菓子が空いてる席に置かれた。帰宅を考えた時、Google Map で調べたところ幸いにも14kmほどだったので徒歩で帰ることにして、19時30分ごろ退社、休憩をはさみつつ5時間で帰宅した。そして、本棚はそのままで、上に載せていた物や中の本が散乱している様を目の当たりにした。割れた物がなかったのは幸いだった。

週明け、職場との往復。
月曜日の出勤では、JR は初めから切り捨てた。11日の対応が、終日見合わせにして駅ではシャッターを下ろして完全にシャットアウトというありさまだったので、丸ノ内線(東京メトロ)・大江戸線(都営地下鉄)・京急線(京急電鉄)の乗り継ぎとなった。帰りは山手線(JR)に乗ったが大変な混雑で、渋谷駅でバスに乗り換えた。火曜日以降は計画停電の実施と節電から本数が減少したものの、通常通りのルートで往復できるようになった。仕事では交通事情を鑑みて、平常であれば16時、遅くとも18時には全員退社という対応が採られた。お客様の規模が大きく、システムを止めると全国にある支社・支店の業務に支障が出ることから、あくまでも安全を優先した上で、可能な限り出社するというスタンスである。ツイッターでも「自粛より経済を回そう」というつぶやきが増えてきたころで、早く帰りたいという欲求と、頑張れるんだから頑張るという意地と、相半ばした。

好きな事をやれるから、やる。
節電しないと詰み、という状況の中で、楽器が好きな私は Tp. を引っ張り出した。プラクティスミュートかヤマハ サイレントブラスを使えば迷惑にならないので、音を出していた。その間もラジオは点けっぱなし、インターネットではツイッターと USTREAM の中継は立ち上げていた。ラジオについては全て電池駆動の単体機で、同居人がラジオ番組のファンであることと、私がラジオのファンであることから、互いに1つずつプラス据え置きで1つという盤石の態勢である。その音でごまかすようにして楽器を鳴らす。そうしてないと落ちつけなかった。
そうしたところ、19日にチャージフリー、誰でも参加できるライブイベントがあることを知った。過去に何度か行った事があり、そのうちの何度かは自ら演奏もしたことがあるお店。以前デュオをお願いしたこともあるKO.DO.NA氏が出演するとあり、持てる限りの楽器を持って行った。演奏というかパフォーマンスで自分の無事を噛み締め、被災地の復興を祈願した。