2011年9月3日土曜日

ポンと放り込まれる

さかのぼって、祖母の法事で実家と行き来。
7月16日のこと(なんで前回書かなかったんだろうか)。四十九日の当日に交通費をケチって高速バスを使ったところ、大和田トンネルの事故で大渋滞にハマった。バスが地元に到着すること約束の4時間後。いつもなら家に連絡して迎えに来てもらうのだが、家族も親類も皆お寺かどこかに移動して家にひとっこ一人いないのは連絡があったので、タクシー拾うのも癪だし炎天下を8km近く歩いて帰ることにした。時間にして1時間。3月11日に5時間歩いたのに比べたら夏の盛りであることを差し引いてトントンだろうと。家に帰り着くと誰もいずに静まり返っている中、黙々と喪服に着替えて帰ってくるのを待った。なお、私は長男である。非常に気まずい。しばらくして皆戻ってくると急に賑やかになった。渋滞にハマって身動きとれなかった話は笑い話で済んだけど、当然両親はいい顔しなかった。

8月、仕事で急展開。
5月いっぱいで2年半勤めた客先から引き上げてからというもの、6月・7月とすることがなく、簿記や某ERPパッケージの勉強してるか、時折入る面談の準備などしていた。一度などはグローバル企業からのオファーで香港と電話で繋いで面談 in Englishという事案も発生したのが、その後、香港のリーダーがトラブルでクビになって立ち消えになることもあった。この時に入ってきた仕事の話はどれも切り出しは良いのだが、いざ面談の日取りをとなると延期になるなど徐々にトーンダウンしていって、結局先方の都合でご破算というパターンが続いていた。それが突如、既にうちの人間が入ってるところからヘルプというかもうエマージェンシーがかかった。というのも、共に働いていた協力会社さんが失踪してしまったというのである。この業界、こういう事がちょいちょいある。後に聴いたところによると本当に行方不明で、ご両親立会いの下で合鍵を使って部屋に入り、持ったままになっていたビルの入館証を回収したとのこと。それからまた数日して当人は実家に戻ったらしい。そのようなありさまで仕事に就いたところ、連日日付けをまたがる帰宅に土曜日も出勤など、楽々300時間超えの現場だった。

初盆で帰省。
定時退社の2ヶ月間から連日終電という振れ幅に参ってしまいそうなところ、お盆である。今年は初盆なので、実家ではJAの祭儀スタッフと協力して祭壇を設けたり、隣家衆と段取り決めたりと大忙し。田舎の法事はとかく規模が大きく、賑やかだけど出費も大きい。 ここで付け加えておきたいのは、私の地元では子供念仏「かさんぼこ」が続けられていること。インターネットで検索すると、静岡県内のごく限られた一地域に限られる伝統なので実家が特定されそうな勢いである。私自身、四半世紀前に経験している伝統行事で、夏休みの間に念仏(和讃とも言うらしい)を3つくらい暗記して、お盆当日の夕方に集合して初盆のお宅を尋ねまわり、夜中に戻ってくる。ヘトヘトになるのだが、行く先々でお菓子やジュースが振る舞われて、2日間終わると小学生に対してはかなりの報酬が出るので楽しみでもあった。今では夜に行動するので男子限定だったのが少子化で女子も参加するようになって、夜は危険とされてお昼に来るようになったのと、縁側や庭でもてなすのではなく、金一封と箱詰めの缶ジュースをわたして帰すようになった。安全第一とはいえ、やはり寂しい。

気がつけば9月。
仕事がやってもやっても減らない今の職場は、本来の仕事が取れるまでの繋ぎのヘルプという立場。この間も営業の努力も虚しく空振り続きだったのだが、5月末までいたところでご一緒した他社さんの方から私のところに電話が入った。仕事のお話があるけれど、御社から出してもらえないかというもの。それをすぐ営業に連絡すると、パイプがないところからいきなりの連絡なのでやや警戒していた。それが話を進めてみると、元請けとは取り引きしたことがあり、うちの営業と担当者で面識があることがわかった。そうとわかれば願ったり叶ったりの展開で、トントン拍子で話が進んだ。よかったよかった。しかし、どうもそこでも1人来なくなってしまった人がいるような話がある……