2012年5月21日月曜日

批評考ー追記ー

ある酒席にて
先日、ネット上で氾濫している批評を指して、本来批評とはそんなもんじゃないだろうという話題が挙がった。些細な事であっても即ネットワークに乗せられる昨今、批評と言いつつもそこに思慮が欠けてるんじゃないか、というもの。映画にしろ音楽にしろ浮沈に関わるが、その感想やら何やら書いて人に見せるのが気楽になって、無邪気と言えば無邪気だけれども、それに「批評」というラベルを付けられたものが問題で、苦くても薬だから飲めたものが、ただの苦い毒だったりするようだ。

36歳になって司馬遼太郎を初めて読んだ
食わず嫌いしていた司馬遼太郎を、誕生日が同じという理由で読み始めて、つい最近2作目を読み終えた。ちなみに1作目は「最後の将軍」、2作目は「覇王の家」。結果的にとはいえ、徳川幕府の最初と最後だけを逆順に読むという暴挙である。
司馬遼太郎という名前だけはよく見聞きする。そして、作品を読む前は小説だと思っていた。時代背景に沿って何某がこんな事をしたという史実を、渋くドラマ仕立てに書き上げたものなのだろうと。NHKが毎週日曜日の夜に放映している番組を大河ドラマと言っているわけだし。ところが実際に読んでみると、この作品の魅力はドラマチックな文章にあるのではなく、司馬遼太郎の批評眼にあるのがわかった。人物評、政治評、戦術評が織り交ぜられている。ドラマは読んだ私の頭の中で勝手に出来上がっていく。「なるほど、そういう事か!」と驚いた(どんだけ今更)。

ひとつテーマがあるので自分でも書いてみる
よしじゃあ自分でも書いてみよう!と思い立つ。まずはっきりさせておきたいのは、「批評」と「批判」の違い。調べてみると両方ともほぼ同じ意味だったのが、習慣で「批判」の方がネガティブな文脈にしか使われなくなっている現状がある。それがどうも私の印象だと、「批」の字に引きずられて「批評」もネガティブな事を書けば良いもんだという雰囲気がある。冒頭で「そんなもんじゃない」と話していたのがその点で、それには抗って、良し悪し両面を忠実に書きたいと思っている。後ほどか、後日か、ここに追記して添付する形で公開してみたい。

批評「2012年5月20日 ライブ vol.5
批評ってこれで良いのだろうか……これが批評されれば本望。

2012年5月16日水曜日

楽器考

5月11日金曜日、U::Gen Laboratrium に行った時のこと
ここのところ仕事が不安感を漂わせつつも落ち着いているおかげで、退社後に大崎まで行って l-e で開かれるライブに行った。というのも、方法マシン時代に交流があった吉原太郎氏と、同じころにアクースモニウム(2個より多いスピーカーを配置する音響作品)を通じて知り合った由雄正恒氏が出演すると知り、これは良い機会といそいそと出かけたのである。
冒頭でリンクしている通り、U::Gen Laboratrium は大谷安宏氏が主催しているイベントとある。私は U::Gen という語からコンピューターで音声を合成するプログラミング言語を連想するのだが、実際は当たらずとも遠からずといった内容で、そんな事より私が仕事の都合で東京に出て来たばかりの頃によく耳にした音楽を多く聴くことが出来て、「そういえば俺、こういう音楽好きなんだった。」と思い出させてくれた。

好きなのを思い出した音楽とは
当時の私は「エレクトロニカ」という大きな括りで聴いていたが、少し詳しくなると「チルアウト」「電子音響」、そして「ミュージック・コンクレート」という語を知るのはもっと後の事である。日常的に聞こえてくる音を録音して素材とし、他の音と重ねたり再生速度を変えるなどの変調を施して、音響で心象風景を描く。とかく人工的な「長調だから明るい/短調だから暗い」曲調とは違う、音から受ける印象にじんわりと沈み込んでいく感じがする。
そんな中、主催の大谷安宏氏が演奏したのは IRCAM が開発したリード楽器の物理モデリング音源を、ボタンが多数配置されたパッドでリアルタイムに演奏するというものだった。これは一転して楽器による即興演奏と言える。Mac でパラメータを処理して音を合成しているので電子音なのだが、その発音原理はあくまでもサックスなどのシングルリードの木管楽器に準じている。見てると必死にボタンを操作しているのだが、音が出たり出なかったり、出たと思ったら耳障りなミスリードの音だったりと、恐らくやってる方も予測不可能なのだろうという展開だった。

それらを通してひとつスッキリしたこと
くどいようだが、私はひとつの事に長く集中して取り組むことが出来ずに、楽器ひとつ取っても電子楽器とアコースティック楽器を行ったり来たりしている。そこには自然にアコースティックかエレクトリックかという分類がついて回る。しかし、エレクトリック楽器においても精神的にはアコースティック楽器として接しているものがある。エレキギターのような弦楽器は元より、シンセサイザーの中でもアナログシンセサイザーや、より生楽器に近いオンド・マルトノという電子楽器も存在する。そのポジションの落としどころが定まらず、楽器が好きな友人知人で集まるといつしか堂々巡りに陥る話題の一つになっていた。
それが今回のライブイベントで、ミュージック・コンクレートと物理モデリング音源の演奏を聴いて、「一度空気を振るわせた事のある音を加工して出す楽器(機材)」と、「発振器から出た振動を加工してから初めて音を出す楽器(機材)」という分け方が出来る事に気がついた。前者はテープレコーダーやサンプラー、PCM音源によるシンセサイザーもこれにあたる。なお、蓄音機なら電気を使わない。後者が問題で、アコースティック楽器にエレキギター、アナログシンセサイザー、オンド・マルトノ、それに PC を使用した DSP も同じ括りに出来るのが大きな意識の変化になった。特に私の場合、シンセサイザーと一口に言えども、アナログの力強い音も、PCM 音源でガムランの音や弦楽器の音を簡単に重ねたり切り替えたりして使えるのも、両方とも魅力を感じている。いざ音を鳴らし始めると割と何も考えてなかったりするけど。

どうせならもうひとつスッキリしたい
「一度空気を振るわせた事のある音を加工して出す楽器(機材)」と書いた方、こちらは端的には「サンプリング」と一言で言い表す事が出来る。一方、「発振器から出た振動を加工してから初めて音を出す楽器(機材)」というのはアコースティック楽器を含むからには「オシレーター」と言うのも無粋で、一言でうまく言い表せない。そこで、どうせ自己満足なんだから言葉も作ってしまえと、録音した音を鳴らす方を「カリフラ楽器」、物体を振動させたりする方を「ブロッコ楽器」と言うことにした。そして、PC のように両方に使えるものは「アブラナ楽器」。私がニコニコと楽器の話をしている間、頭の中ではそういう語で表現していると見て間違いないのであしからず。

追記
「ブロッコ楽器」と「カリフラ楽器」の両方を受け持つ楽器を「アブラナ楽器」としていたが、「ロマネス楽器」に改める。ロマネスコという野菜があるのを知らず、調べてみたらドンピシャで驚いた次第。

2012年5月4日金曜日

poor man's DTM environment

このゴールデンウィーク中にテクノを2曲アップ。

deskwork
http://soundcloud.com/yeemyu/deskwork
train trip in the rain
http://soundcloud.com/yeemyu/train-trip-in-the-rain

作成には、Milkytracker というアプリケーションを使用した。MODというファイル形式のうちの1つ、XMファイルでの作成である。

http://homepage2.nifty.com/moriyu/files/deskwork.xm.zip
http://homepage2.nifty.com/moriyu/files/ttrain.xm.zip

歴史のお時間です。
どうした風の吹き回しか、と思われる方がおられるかどうか。今でこそ即興演奏がメインだが元々はテクノが好きで、KORG N1というピアノ鍵盤のシンセサイザーのGMフォーマットで曲を作ってはテクノ専門のMIDIファイル投稿サイトに投稿して、のちに.logというホームページを作って自前で公開するようになった経緯がある。時は20世紀の終盤、テレホーダイからADSLが主流になってインターネットが急成長する頃で、光回線が普及し出す前夜といったところになる。
通信速度の観点からすると、ADSLやケーブルテレビの回線を引いた家庭では今の携帯電話あるいは公衆無線LANと良い勝負、そうでなければ携帯電話より劣る通信速度でインターネットを利用していた事になる。そこへ持ってきて、パソコンに音楽を録音したそのままのファイルは非常に大きく、そのまま送ったら1分の曲に1時間かかるのではというもの。そこで、パソコン通信時代から音楽を共有する手段の一つにMIDIファイルがあった。音が出るハードウエアを各自持っている必要があるものの、そのハードから再生するのに必要な信号(ドを鳴らせ、音色を10番に変えろ、など)だけのデータなので、当時主流だった圧縮形式LZHに圧縮すると数KBで1曲フルで送ることが出来た。なお、この頃に坂本龍一氏はMIDIピアノを使ってMIDI信号のリアルタイム送信を行い、各家庭のMIDIピアノにコンサートの演奏を届ける実験的なコンサートを実施している。
つまり、音楽を共有するにあたっては今とは比べ物にならないほどファイルサイズと機器のコストに神経を尖らせていた。高価な外付け音源がなくてもMIDIファイルを再生出来るソフトウエア音源が生まれたのも、MP3という圧縮形式が生まれたのも同時期。特に前者はその後VSTインストルメントといったソフトウエアシンセサイザーへ進化を遂げる。

ようやく本題です。
さて、音色の配列や命令に互換性が問われる外付け音源向けの音楽ファイルのやりとりとは別に、パソコンの内蔵音源に演奏させる形式が存在した。古くはPSG音源、少し進んでFM音源、もう少し進むとPCM音源がプラスされる。ここで問題になるのが最後のPCM音源である。この形式は録音した音をそのまま再生する為のもので、例えばピアノであればドの音を「ポン」と出したものを録音しておいて、音程を変化させたり、その中間部をループさせたりすることで擬似的にピアノの音源とすることが出来た。要するに、どんな楽器であれ特徴的な部分だけ録音しておいて後はパソコンの方で処理するので、これも非常に小さいファイルサイズで1曲丸々再現可能になった。外付けの音源が不要になり、互換性も気にしないで済むようになったのである。
このパソコン内蔵のPCM音源をフル活用したのが、Amigaに端を発するMODというファイル形式。Demosceneという、どれだけ小さいプログラムサイズで度肝を抜く映像作品を作るか競う文化が海外にあり、そこからスピンアウトした技術という認識でいる。この形式で音楽を作成するツールが無料で公開され、音の素材も外から手に入れたり自力で録音したりすることで、元手をかけずにかなりのクオリティーで楽曲の作成から公開が出来るのである。ただし、五線譜で曲を打ち込みたいとか、エフェクターを使用したいといったユーザーフレンドリーな要求は一切受け付けない仕様なので、どちらかと言えばプログラマー向けのツールと言える。
私がMODを初めて知ったのはかれこれ10年ほど昔。音楽が光回線その他でMP3やストリーミングでバンバン飛んでくる世になって存在意義を失いつつある形式なので、当時お世話になったサイトが今でも残ってるか不安だったが、あった。

波平会
http://www.mars.dti.ne.jp/~odaki/mod/index.html

今こそ「NHKにようこそ!」である(否)。PCの環境が様変わりしていても、MODについての記述は今でも十分通用する。私のメイン環境はLinuxで、作成に Milkytracker、聴くには Open Cubic Player を使用している。Windows、Mac、スマホでも再生できるアプリが存在する。今でも細々とではあるものの続く音楽の軽量なファイル形式で、昔とった杵柄よろしくテクノな曲を打ち込んでみた訳である。

The MOD Archive
http://modarchive.org/