上記リンクはライブイベント「external music party part 7 “震災後”」のブログエントリである。今でこそ”震災後”とあるが、発表時(2月14日)は「音楽の外側で音楽を感じる“ラジオを奏でる”」だった。場所は仙台。約1ヶ月後の3月11日、震度6の地震が襲った。
私はこのイベントを見に行くことを決めた。
主催する com4jai 氏とは私が所属していたパフォーマンス集団方法マシンの活動を通じて知り合い、第23回<東京の夏>音楽祭2007参加公演“手順派”合同祭『極東の架空の島の唄』では行動を共にして映像撮影と編集を担った方である。東京に来られる事が度々あり、都合が合えばよく一緒に飲み食いした。
その人が迷った末にライブを決行するという。それを知ったのは仕事を終えて帰宅中に見たツイッターで、それを知る直前に私は5月のゴールデンウィークに仙台に行くつもりで「ひとつ計画があって節約する」とツイートしていた。ある程度復興が見込まれて、交通もなんとか正常化する頃だろうという目論見があってツイートしたのだが、送信ボタンを押すまでのタイムラグで前後してライブ決行を知ると、この時点で1ヶ月前倒しして行く気になっていた。部屋に帰ってさっそく交通手段を探すと、あっさり高速バスがつかまった。そうとなればスケジュールの問題で、ライブの翌日の昼に尺八の稽古があり、稽古をキャンセルして宿泊するか、朝出て夜行で帰って来て一休みしたら稽古に行くか。後者を採った。
震災後の仙台。
仙台へは10年前に一度行ったことがある。友人が仙台にいたことと、せんだいメディアテークでテレビゲーム展が開催されるという事で、新幹線で日帰りした。それを今回は片道6〜8時間かけてバスで移動。往きの車中では持参したラジオでFM局を聴いていた。初めTokyo FMで、FM ふくしまが入るようになって、FM 仙台がクリアになって到着。
仙台駅近くのコンビニはガラスに新聞紙が貼られて中が見えない状態でどこも閉まっていた。ファストフード店も同様。ファミリーレストランやラーメン店などのようなところは開いていた。せんだいメディアテークへ行く途中の大きな商店街「クリスロード」ではシャッターを下ろしている店が目立ったが、人は多く賑わっていた。店先でお弁当やお惣菜を売って声をあげている店員さん、駅から少し離れて開いていたミスタードーナツやたいやき屋さんには長い行列が出来ていた。メディアテークは休止してて、中では作業員の方々が集まってミーティングをしているようだった。その先の公園をぶらついて橋を渡り、川の近くに降りて暇つぶしにトランペットをミュート装着で30分ほど吹いた。美術館や博物館は全て休館、仙台城跡は入り口まで行けて、伊達政宗像の所までは行けなかった。公園ではキックベースボールで遊ぶ子供たちがいた(懐かしい!!)
いよいよライブ。
パンゲア仙台に到着。徐々に人が集まって来ておしゃべりの中で情報交換が広がる。電気が通るまで何日かかったか、まだ水が出なくて水を汲んでる、津波にあって九死に一生を得た方のこと、ガソリン不足、取引先から売上金を回収できないなどなど。問題は山積。だけど、前向き。前を向くしかないにしても、悲壮感とは違う。パンゲアに集まった方々がそうだし、私が直接見ることが出来た杜の都仙台の商店街や公園でそうだった。今回PA抜きという制約の中で出演される皆さんはアコースティック楽器、電池駆動の機材、かぶり物(!)など駆使して演奏を繰り広げた。おそらく地震があったからといって、PA抜き以外に特別なことをしたのではなく、いつものライブのテンションで出し切っていたんじゃないかと思う。持ち時間の間、集中して。仙台でそれを見ることが出来たのは、予定通り帰れるのか不安を抱えてまで来た甲斐があったという物である。これは前述の東京音楽祭で三宅島に行った時もそう。ちょっと違うけど地震直後に5時間歩いて帰ったのもそう。私は懲りるんじゃなくて、自信をつけている。
追記
始めから書くつもりで忘れていた。時を同じくしてこの方々も動いていた。
「新・方法」災害支援ボランティアへの応募
http://7x7whitebell.net/new-method/adrv_j.html