2011年3月27日日曜日

経験—追記—

26日は変更ながら決行
上記リンクはライブイベント「external music party part 7 “震災後”」のブログエントリである。今でこそ”震災後”とあるが、発表時(2月14日)は「音楽の外側で音楽を感じる“ラジオを奏でる”」だった。場所は仙台。約1ヶ月後の3月11日、震度6の地震が襲った。

私はこのイベントを見に行くことを決めた。
主催する com4jai 氏とは私が所属していたパフォーマンス集団方法マシンの活動を通じて知り合い、第23回<東京の夏>音楽祭2007参加公演“手順派”合同祭『極東の架空の島の唄』では行動を共にして映像撮影と編集を担った方である。東京に来られる事が度々あり、都合が合えばよく一緒に飲み食いした。
その人が迷った末にライブを決行するという。それを知ったのは仕事を終えて帰宅中に見たツイッターで、それを知る直前に私は5月のゴールデンウィークに仙台に行くつもりで「ひとつ計画があって節約する」とツイートしていた。ある程度復興が見込まれて、交通もなんとか正常化する頃だろうという目論見があってツイートしたのだが、送信ボタンを押すまでのタイムラグで前後してライブ決行を知ると、この時点で1ヶ月前倒しして行く気になっていた。部屋に帰ってさっそく交通手段を探すと、あっさり高速バスがつかまった。そうとなればスケジュールの問題で、ライブの翌日の昼に尺八の稽古があり、稽古をキャンセルして宿泊するか、朝出て夜行で帰って来て一休みしたら稽古に行くか。後者を採った。

震災後の仙台。
仙台へは10年前に一度行ったことがある。友人が仙台にいたことと、せんだいメディアテークでテレビゲーム展が開催されるという事で、新幹線で日帰りした。それを今回は片道6〜8時間かけてバスで移動。往きの車中では持参したラジオでFM局を聴いていた。初めTokyo FMで、FM ふくしまが入るようになって、FM 仙台がクリアになって到着。
仙台駅近くのコンビニはガラスに新聞紙が貼られて中が見えない状態でどこも閉まっていた。ファストフード店も同様。ファミリーレストランやラーメン店などのようなところは開いていた。せんだいメディアテークへ行く途中の大きな商店街「クリスロード」ではシャッターを下ろしている店が目立ったが、人は多く賑わっていた。店先でお弁当やお惣菜を売って声をあげている店員さん、駅から少し離れて開いていたミスタードーナツやたいやき屋さんには長い行列が出来ていた。メディアテークは休止してて、中では作業員の方々が集まってミーティングをしているようだった。その先の公園をぶらついて橋を渡り、川の近くに降りて暇つぶしにトランペットをミュート装着で30分ほど吹いた。美術館や博物館は全て休館、仙台城跡は入り口まで行けて、伊達政宗像の所までは行けなかった。公園ではキックベースボールで遊ぶ子供たちがいた(懐かしい!!)

いよいよライブ。
パンゲア仙台に到着。徐々に人が集まって来ておしゃべりの中で情報交換が広がる。電気が通るまで何日かかったか、まだ水が出なくて水を汲んでる、津波にあって九死に一生を得た方のこと、ガソリン不足、取引先から売上金を回収できないなどなど。問題は山積。だけど、前向き。前を向くしかないにしても、悲壮感とは違う。パンゲアに集まった方々がそうだし、私が直接見ることが出来た杜の都仙台の商店街や公園でそうだった。今回PA抜きという制約の中で出演される皆さんはアコースティック楽器、電池駆動の機材、かぶり物(!)など駆使して演奏を繰り広げた。おそらく地震があったからといって、PA抜き以外に特別なことをしたのではなく、いつものライブのテンションで出し切っていたんじゃないかと思う。持ち時間の間、集中して。仙台でそれを見ることが出来たのは、予定通り帰れるのか不安を抱えてまで来た甲斐があったという物である。これは前述の東京音楽祭で三宅島に行った時もそう。ちょっと違うけど地震直後に5時間歩いて帰ったのもそう。私は懲りるんじゃなくて、自信をつけている。


追記
始めから書くつもりで忘れていた。時を同じくしてこの方々も動いていた。
「新・方法」災害支援ボランティアへの応募
http://7x7whitebell.net/new-method/adrv_j.html

2011年3月20日日曜日

祈願

東北地方太平洋沖地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被害を受けられた皆さまとご家族にお見舞い申し上げます。

3月11日の地震があった時、仕事中だった。
現在の職場は港区にあり、相変わらずのデスクワーク。緊急度が高い仕事をひとつ抱えていて PC に向かっていたところ、横揺れが始まった。だんだん強くなるのではなく、弱から強に切り換えたように揺れた。窓にかかるブラインドが大きく揺れて、それがガチャガチャとぶつかる音が一番大きかった。大きな揺れは2回あり、その間にビルのアナウンスでエレベータを停止したことが告げられたが、外に避難することはなかった。その外を見ると、お台場の方で黒煙があがるのが見えた。そのまま視線を移すと、旅客機は何事もないかのように空を飛んでいる。仕事に戻ろうと努めるが、とても手につかなかった。一方で、プロジェクトの維持と統括を担う方々が買出しに出かけて、帰宅できない方々を主な対象にパンやバナナ、お菓子が空いてる席に置かれた。帰宅を考えた時、Google Map で調べたところ幸いにも14kmほどだったので徒歩で帰ることにして、19時30分ごろ退社、休憩をはさみつつ5時間で帰宅した。そして、本棚はそのままで、上に載せていた物や中の本が散乱している様を目の当たりにした。割れた物がなかったのは幸いだった。

週明け、職場との往復。
月曜日の出勤では、JR は初めから切り捨てた。11日の対応が、終日見合わせにして駅ではシャッターを下ろして完全にシャットアウトというありさまだったので、丸ノ内線(東京メトロ)・大江戸線(都営地下鉄)・京急線(京急電鉄)の乗り継ぎとなった。帰りは山手線(JR)に乗ったが大変な混雑で、渋谷駅でバスに乗り換えた。火曜日以降は計画停電の実施と節電から本数が減少したものの、通常通りのルートで往復できるようになった。仕事では交通事情を鑑みて、平常であれば16時、遅くとも18時には全員退社という対応が採られた。お客様の規模が大きく、システムを止めると全国にある支社・支店の業務に支障が出ることから、あくまでも安全を優先した上で、可能な限り出社するというスタンスである。ツイッターでも「自粛より経済を回そう」というつぶやきが増えてきたころで、早く帰りたいという欲求と、頑張れるんだから頑張るという意地と、相半ばした。

好きな事をやれるから、やる。
節電しないと詰み、という状況の中で、楽器が好きな私は Tp. を引っ張り出した。プラクティスミュートかヤマハ サイレントブラスを使えば迷惑にならないので、音を出していた。その間もラジオは点けっぱなし、インターネットではツイッターと USTREAM の中継は立ち上げていた。ラジオについては全て電池駆動の単体機で、同居人がラジオ番組のファンであることと、私がラジオのファンであることから、互いに1つずつプラス据え置きで1つという盤石の態勢である。その音でごまかすようにして楽器を鳴らす。そうしてないと落ちつけなかった。
そうしたところ、19日にチャージフリー、誰でも参加できるライブイベントがあることを知った。過去に何度か行った事があり、そのうちの何度かは自ら演奏もしたことがあるお店。以前デュオをお願いしたこともあるKO.DO.NA氏が出演するとあり、持てる限りの楽器を持って行った。演奏というかパフォーマンスで自分の無事を噛み締め、被災地の復興を祈願した。

2011年3月6日日曜日

民謡

古書市をやっていたので寄って見つけたのが「民謡の教本」。
横長の本で、米谷威和男氏の著作。前書きによると約600曲の歌詞が収録されていて、「これだけ知っていれば、ステージなどでは、充分に間に合う程度には限定し」とあることから、資料としてではなく演奏者向けに書かれたものとわかる。各曲には「修了」欄があり、日付と尺八の長さ(○尺○寸)、三味線の本数を書き入れるようになっている。書籍で一番最後のページに記載される発行所を見ると米谷尺八学院となっていた。いわば歌本やジャズの青本にあたるものだろう。

曲名と歌詞しか載っていない。しかしそこには……
「民謡の教本」には残念ながら歌本ならあって当然のメロディーの楽譜がなく、歌詞しかわからない。手に取ったときに購入をためらったのだが、その最大の理由がこれ。とはいえ、日本全国の民謡の詞が読めるというのはとても興味深い。それで購入して、帰りに寄ったジャズ喫茶「ナジャ」でジャズを聴きながらこの「民謡の教本」を開いた(蛮行)。先に曲名を50音順に並べた目次があって、パラッとめくったら島根県の「キンニャモニャ」、その隣に熊本県の「キンニョムニョ」とある。もうガッツポーズである。熊本県には「ポンポコニヤ節」もあり、火の国がやたらとかわいい。いやしかし、民謡は農作業などの辛い仕事中に歌って鼓舞する用途もあり、のんきに笑えないケースがある。こころしてページを開いた。

花の熊本 長六橋から眺むれば オヤ ポンポコニヤー

良かった。萌えソングだった。

今更ながら民謡の奥深さを痛感。
ラジオを点けっぱなしにしてると民謡の番組が流れることがあって、正直に言うとそういう時は居心地の悪さを感じてしまう。普段聞き慣れている(慣らされている)音楽とは大違いだし、演奏者も観客もご年配の方がほとんどとあって世代のギャップがどうしようもなく横たわる。例外的に津軽三味線・よさこい祭り・阿波踊りの類はノリが良く受け入れられているが、ほとんどの民謡はそうはいかない。それでスルーしてしまうのだが、活字で自分のペースで読んでみるといろいろ発見がある。例えば、真意はわからないが、島根の「出雲音頭」は「私がやろうか、私がやるのでは合わないかもしれない、合わなかったら囃子でたのむ」という歌詞。これだけ読むとメタ民謡である。そんな調子で、「民謡の教本」は目から鱗を落としまくる良い買い物となった。