2011年12月25日日曜日

気がつけば師走

今月も徹夜がありましたとも。
仕事が終わらなかったという理由が一番だが、12月下旬、それもクリスマスを含む3連休直前の金曜日という日で、仮に終電間際に仕事をやり遂げて間に合ったとしても電車に乗るのは非常にためらわれたのである。忘年会でお酒を召した方々が主成分の満員電車、自分もその一員ならこっちのものだが、直前までギリギリの仕事してて乗り合わせるのは罰ゲームとしか言いようがない。結果的に仕事が朝までかかったので杞憂に終わったのだが、だからといって仕事が徹夜になるのはやるせない。


スマートフォンをチェンジ。
2年縛りで使い続けている htc HT-03A。日本初の Android ケータイで、型落ちになったのを半額で契約して使っているのだが、アプリの更新をすると徐々に本体の調子が悪くなってきたように思い、さすがにバージョン1.6を使いつづけるのは苦しいと思えてきた。それにしても Mac OSX の 10.4 から 10.5 の時といい、Android の 1.6 とその後のバージョンといい、下位互換を捨てるまでの期間が短く感じる。携帯電話に限らずIT絡みの製品は買い替えのサイクルが短くて、買った物なのに借り物のようで、どこか所有感が乏しい。

前置きが長くなったけれど、htc HT-03A から Sony Ericsson Xpria Pro になった。「買い換えたくて候補を挙げている」とツイッターにつぶやいたら友人から安く譲っていただけることなった物で、国内で販売されているものと思っていたら違った。使えるのはわかったのだが、通常のスマホ用定額サービスが受けられず、PCに繋いでデータ通信をする方の上限額にされる恐れがある。そうなると3,000円高くなるので契約や設定に慎重にならざるを得ない。そうまでしてなぜ Xperia Pro なのかといえば、キーボード付きが欲しかったのである。


音楽のこと。
相変わらず、気力さえ湧いてくれればトランペットと尺八の音だしはする。週末はなるべくスタジオを2時間借りてそれぞれ1時間使って練習するのだが、平日は冒頭の通り仕事が忙しく帰宅時間が不安定で、ワンルームアパートとあっては音だしが出来ない。したがって非常に遅々とした歩みとなっている。ただ、しばてつさんの「近況」や篠原眞氏を迎えたJMLレクチャー、前衛音楽室など、触発される場があれこれあって細々とではあるがモチベーションを保てている。

それより、本とCDが増えた。本は「現代音楽キーワード事典」「日本の電子音楽 増補改訂版」「さわり」。前者2冊は資料の意味合が強く、「さわり」は琵琶奏者の鶴田錦史の半生が綴られた好書。CDでは私が方法マシンの一員だった時に手順派公演で演奏された箏奏者の西陽子さんの「月夜の海」と、中ザワヒデキ音楽作品演奏会で演奏されたトランペット奏者の曽我部清典さんの「透明な孤独」、MAYAさんの「Unknown Landscapes」、山根明季子さんの「水玉コレクションNO.06」と、現代音楽寄りとなっている。なっているんだけど、これはもう出会いとの相乗効果。クラブミュージックは情報入手が手薄で、もうずっと低空飛行中。10年以上聴いている手持ちの音源を相変わらず聴く。

2011年11月27日日曜日

近況

いつの間にか11月もあと数日。
前回の更新で新たな契約を得て職場が変わることを書いて2ヶ月が過ぎようとしている。それで新しい仕事がどうかと言えば、最初の1ヶ月は特に困難な局面はなく順調だったのだが、次の1ヶ月の間に事態が悪化して、1週間の間に徹夜が2度あった。それも通常なら始発で帰ったらその日はお休みにするのが、帰ってシャワー浴びて2時間ほど寝たら出勤して終電で帰宅という強行軍である。もちろん、工数の見積りからスケジューリングは定時内の想定で予備日も設けて立てられるのだが、10年以上この業種に携わってきて、残業が100時間を超える月が含まれなかった事がない。暇な時は本当に暇で、夏に「ちゃんと簿記の資格取るか!」と勉強していたのがまたもや吹っ飛んでしまった。

尺八の稽古。
月に一度の尺八の稽古は欠かさず通っている。毎日の練習も欠かしたくないが、連日帰宅が日付をまたいでいる状況にあって無理な話。朝練という手もあるが、とても起きられない。幸いというか本来なら当たり前なのだが、サービス残業への風当たりが強くなってきちんと管理されるようになった結果、代休を取得してスタジオで練習するようにしている。
練習する曲は菅原久仁義氏の著作「なるほど・ザ・尺八 尺八入門」を卒業して、古典本曲の「本調」をどうにか通せるようになり、箏曲で有名な「六段」をちょっとだけやったけれど、今は「手向」をメインに教わっている。そして、やっぱり古典は面白い。例えばドレミで言えば

ミ → ファ → ミ

というメロディーがあったとして、通常であれば

ミの運指 → ファの運指 → ミの運指

とするところを、

ミの運指 → ファの運指 → ファの運指のまま顎でミの音程を出す

という場面が続出する。最後のミの音はいわば無理やり出す音なのでくぐもった音になるのだが、それが古典にとって欠かせない音色なのである。中には音程を下げるのが難しい音があって、笑い話として「顔で下げる」というテクニックが存在すると言う。実際には音程が合ってないのに、グッと渋い表情を作って鳴ってるように感じさせてしまうというアレである(アレである)。ともかく、続けられる間は続けて行きたい楽器だ。

トランペットの練習。
こちらはもうはっきり言って筋トレ。誰が何と言おうと楽器を使った筋トレ。初級者向けのCD付き楽譜集を一冊買ってみたのだが、相変わらず一曲通せず途中で頬が痛くなって鳴らなくなってしまうし、単音で言えば上のF(ソ)から高い音が辛うじて出るようになったくらい。鳴らなきゃ音色がどうこう表現がどうこう以前の問題で、そういう意味で筋トレ。もちろん、余計なところに力を入れず常に音楽的な意識を持って音色を作るように音出しをするのが大切なのは分かっちゃいる。救いとして、トランペットはプラクティスミュートやサイレントブラスといった便利アイテムがあるので多少気楽ではあり、即興演奏に参加するような時にトランペットが混ざると良くなるというお言葉も頂いて、今渡こそ諦めずに続けて行きたい。

鍵盤。
部屋に出して置けなくなってからというもの埃をかぶっている。スタジオを借りる時にピアノがある部屋にしてもらう事もあったけれど、お値段割増しになるので敬遠してしまった。シンセサイザーを使って小さいキーボードから鳴らすことも仕事が多忙を極めたころからモチベーションが下がってしまった。音源を枕元に積んでていつでも目に入るので、いつも心にひっかけてはいるし、何だかんだ言って好きである。問題は、音を出すまでの準備と後片付けに気が重くなる点……

2011年9月3日土曜日

ポンと放り込まれる

さかのぼって、祖母の法事で実家と行き来。
7月16日のこと(なんで前回書かなかったんだろうか)。四十九日の当日に交通費をケチって高速バスを使ったところ、大和田トンネルの事故で大渋滞にハマった。バスが地元に到着すること約束の4時間後。いつもなら家に連絡して迎えに来てもらうのだが、家族も親類も皆お寺かどこかに移動して家にひとっこ一人いないのは連絡があったので、タクシー拾うのも癪だし炎天下を8km近く歩いて帰ることにした。時間にして1時間。3月11日に5時間歩いたのに比べたら夏の盛りであることを差し引いてトントンだろうと。家に帰り着くと誰もいずに静まり返っている中、黙々と喪服に着替えて帰ってくるのを待った。なお、私は長男である。非常に気まずい。しばらくして皆戻ってくると急に賑やかになった。渋滞にハマって身動きとれなかった話は笑い話で済んだけど、当然両親はいい顔しなかった。

8月、仕事で急展開。
5月いっぱいで2年半勤めた客先から引き上げてからというもの、6月・7月とすることがなく、簿記や某ERPパッケージの勉強してるか、時折入る面談の準備などしていた。一度などはグローバル企業からのオファーで香港と電話で繋いで面談 in Englishという事案も発生したのが、その後、香港のリーダーがトラブルでクビになって立ち消えになることもあった。この時に入ってきた仕事の話はどれも切り出しは良いのだが、いざ面談の日取りをとなると延期になるなど徐々にトーンダウンしていって、結局先方の都合でご破算というパターンが続いていた。それが突如、既にうちの人間が入ってるところからヘルプというかもうエマージェンシーがかかった。というのも、共に働いていた協力会社さんが失踪してしまったというのである。この業界、こういう事がちょいちょいある。後に聴いたところによると本当に行方不明で、ご両親立会いの下で合鍵を使って部屋に入り、持ったままになっていたビルの入館証を回収したとのこと。それからまた数日して当人は実家に戻ったらしい。そのようなありさまで仕事に就いたところ、連日日付けをまたがる帰宅に土曜日も出勤など、楽々300時間超えの現場だった。

初盆で帰省。
定時退社の2ヶ月間から連日終電という振れ幅に参ってしまいそうなところ、お盆である。今年は初盆なので、実家ではJAの祭儀スタッフと協力して祭壇を設けたり、隣家衆と段取り決めたりと大忙し。田舎の法事はとかく規模が大きく、賑やかだけど出費も大きい。 ここで付け加えておきたいのは、私の地元では子供念仏「かさんぼこ」が続けられていること。インターネットで検索すると、静岡県内のごく限られた一地域に限られる伝統なので実家が特定されそうな勢いである。私自身、四半世紀前に経験している伝統行事で、夏休みの間に念仏(和讃とも言うらしい)を3つくらい暗記して、お盆当日の夕方に集合して初盆のお宅を尋ねまわり、夜中に戻ってくる。ヘトヘトになるのだが、行く先々でお菓子やジュースが振る舞われて、2日間終わると小学生に対してはかなりの報酬が出るので楽しみでもあった。今では夜に行動するので男子限定だったのが少子化で女子も参加するようになって、夜は危険とされてお昼に来るようになったのと、縁側や庭でもてなすのではなく、金一封と箱詰めの缶ジュースをわたして帰すようになった。安全第一とはいえ、やはり寂しい。

気がつけば9月。
仕事がやってもやっても減らない今の職場は、本来の仕事が取れるまでの繋ぎのヘルプという立場。この間も営業の努力も虚しく空振り続きだったのだが、5月末までいたところでご一緒した他社さんの方から私のところに電話が入った。仕事のお話があるけれど、御社から出してもらえないかというもの。それをすぐ営業に連絡すると、パイプがないところからいきなりの連絡なのでやや警戒していた。それが話を進めてみると、元請けとは取り引きしたことがあり、うちの営業と担当者で面識があることがわかった。そうとわかれば願ったり叶ったりの展開で、トントン拍子で話が進んだ。よかったよかった。しかし、どうもそこでも1人来なくなってしまった人がいるような話がある……

2011年7月24日日曜日

趣味は充実する

仕事がないと当然帰宅が早いわけで
定時上がり番長である。18時に退社して、部屋に着くのが19時前後。テレビ番組で言う所のゴールデンタイムではないか。平日のゴールデンタイムに部屋に居ることなんて、保守フェーズでよっぽど暇な時か今みたいに次の仕事が決まらない時くらいである。そうそうあるもんじゃない。と言って、テレビは見ないのだけれども。

地デジ地デジと騒いでいるのをよそに
そんな早くに帰って来てテレビを見ずに何をしているのか。PC に向かってツイッターと動画サイトを見てたらいつの間にか日付が変わっていた(その間5時間だと思うとゾッとする)事もあるが、最近は Processing と Chuck を連携したちょっとしたサウンドアートを作ってみたのと、楽器の練習、周期的にプレイしたくなる Angband というローグライクゲームで遊ぶ事が多い。Angband というゲームは20年も前に作成されたフリーソフトで、デフォルトでグラフィックも音も無く、文字だけで全てを表現した RPG。映画「ロード・オブ・ザ・リング」の原作となった「指輪物語」の前史にあたる「シリマリル物語」を下敷きにしている。詳しくはウィキペディア*ではなく*、アンサイクロペディアを参照してほしい。実は「指輪物語」は9巻(+追補編が1巻)もある事に尻込みして未読である。

途切れた趣味(?)が急浮上
今年に入ってすぐくらいだろうか、英語について「英語でツイッターに投稿して身につけよう!」といった類の本が気になりだして、「英語100語日記」という本を購入した。日記ではないが1日1ツイートを心がけて、添削してくれる友人がいたおかげで1ヶ月ほど続いただろうか。それが震災で頭から吹っ飛んでぱったりやめてしまった。それがここに来て英語で面談という事態が発生した。今更ジタバタしても仕方がないという気持ちが半分あるものの、「英語100語日記」が結構読みやすく出来てて、文型と時制は頭に入れておこうと頑張っている。ただ、これも友人から指摘されたことだけど、聞き取れないと始まらないんだな……

2011年7月18日月曜日

仕事がない時

仕事の方は、幾度かの面談と打ち合わせを経て
……決まっていない。困ったことに、未だに仕事が決まらないでいる。初めはいつもと変わらない面談で始まったのだが、回数を重ねる度に状況がややこしいという事に*面談する側が気づいた*という有り様。こんな事は初めてである。そんなこんなで1ヶ月半が経過してしまった。
さあ、仕事がない。といって、まだ30日くらい残ってる有給休暇を惜しげもなく投入する度胸もなく、自社の借り物の席で(客先常駐が長すぎて自席がない)簿記の勉強を始めた。3級である。思えば簿記にまったく触れたことがない状態で ERP の仕事に携わって、諸先輩方に揉まれてどうにかこうにかこなしてきた。そうして紛いなりにも仕訳の知識が身についていたので、参考書の前半はそう苦労しないで進む。手形から決算あたりから本腰を入れていく。

移り気が激しいもので
そうは言っても一日八時間近く簿記だけを勉強するというのは飽きる。飽きると頭に入らないものである。元々趣味が多い私だが、それに関して一つ持論があって、「興味を持ったその時に出来るだけ情報を集める」というのがそれ。音楽で言えばシンセサイザーに凝って雑誌やネットから欠かさず情報を仕入れていた時期があった。それが今ではジャズトランペットや尺八に興味が移っており、「シンセの新製品が出た」と聞くと一応チェックはするけれど音源方式や同時発音数といった基本的なスペックすらおぼろげ。そんなものである。話を戻すと、簿記の参考書を開いて勉強した気になれるのはせいぜい2時間。残りの時間、本を開いて目を開けてても、まるっきり頭に定着しない。

学校の授業って毎時間教科が違う
そんな当たり前の事を忘れてて、思い出すと当時の自分が眩しく見える。今でも頭がキレる人というのは様々な報告が上がってきても瞬時に頭を切り替えて、「ああ、それはですね」とさばく。そういうタイプはたいてい記憶力も良い。眩しいぜ。話を仕事がなくて簿記の自習をしてることに戻すと、時間の使い方をこれまでのようにプログラムの開発で仕様を考えるとか必要な資料をまとめるといった一色に染める一日ではなく、ある時間は簿記、その後は Java をメインにプログラミングを勉強する事にした。Java は需要がありそうなのだ。あとはこっそり個人的な興味で関数型言語、中でもエディタの Emacs に付属している Emacs Lisp を動かしてみる。Lisp はカッコだらけでかっこ悪いと悪名高い言語だが、使うカッコは丸カッコ一種類のみだし、慣れれば大したことない。次の仕事が決まるまで、そんな一日を過ごしていく。

2011年6月27日月曜日

訃報など、この1ヶ月間

5月29日(日)、祖母が他界した。享年95歳。
当時通っていた客先が5月いっぱいで契約満了となり引き揚げ、6月最初の週を休暇にあてる予定でいた。それが、5月30日(月)の午前を客先の引き揚げとご挨拶にあてて午後はそのまま帰省、本来の最終日である翌31日は忌引きという、少し変則的なことになった。なお、日曜日に連絡をもらったその時に帰省する気持ちがあったのだが、親から「慌てて帰って来るな」と言われたおかげで、踏みとどまって綺麗に仕事を片付けることが出来たと言える。さすがは親である。

前後して5月14日(土)、尺八の先生である松本宏平氏の古典本曲演奏会。
事前にスタッフとして会場の設営や受付を手伝ってほしい旨を伺っていた。会場が寂円寺というお寺なのでジーパンにTシャツという訳にはいかず、ややフォーマルな服装で臨んだ。演奏会は古典の演奏と各曲の説明に尺八の説明、尺八の演奏にまつわる歴史といった講座をミックスしたもので、身内で言う事ではないけど言わせてもらうと、とても充実していた。次回が予定されているので、ご来場いただけると楽しめるのではとお薦めしたい。それと、服装はご自由に。わりと大丈夫。

「古典本曲の現在」VOL.2
@寂円寺 至心閣(文京区)
OPEN/START - 13:30/14:00
CHARGE - 1500YEN(檀信徒様500YEN)

古典本曲の演奏会があって、実家で葬儀があって、6月。
2週目から出社したものの仕事が決まらず、なんともうすぐ7月という今の今までほとんどが自習というありさま。営業曰く、震災後にシブくなったらしい。ただし、震災以前からあった話にしても単価があまりにも安いなど、いいニュースがとんと聞かれない。そうこうしているうちに夏風邪をひいた。これがまた、治ったと見せかけて盛大にぶり返し、非常に治りが遅い。たまりかねて病院に行ったところ、鼻炎が見つかった。折しも猛暑続きで、布団をかぶってガッツリ発汗するのはいいが体力の消耗も半端ではない。しまいには、祖母の葬儀と、その後でたまたま見つけたエッセイマンガ「坊主Days」「お寺とみんなの毎日」の影響で般若心経の暗記に挑戦してみた。半日でやっと1/4ほど。歌詞や台詞と違ってほとんど意味が解らず、音というか字面というか、それだけで憶えるので先が長く気が遠くなる。それはともかく、風邪でこれほど辛い目にあったのは初めてかもしれない。皆様もどうかご注意を。

2011年5月1日日曜日

実行

5月になってしまった。
4月の前半は仕事が忙しかった。休日出勤もあり、内容もデリケートでタイトなスケジュール。それが終わると今度は仕事の密度がガクンと減って、集中力を維持するのが大変になった。そしてゴールデンウィーク。今の仕事を引き継ぐ方の方々は正念場で連日出勤されていて、引き継いで去る方の私は電話連絡があれば電話口で対応、よっぽどの事となればスクランブル発進である。


短歌を詠んでみた。
今の職場に昼休みになるとやってくる保険会社のお姉さん。お手製のペーパーを配ってるのだが、表面がスポーツ新聞から抜粋した記事で、裏面は新聞5紙のコラム(天声人語とか)を集めてコピーしたもの。転載許可を得ているとの但し書きがついている。このコラムを集めたもの、文章量が丁度良いのと各紙の読み比べが出来るのでとても気に入っている。1週間か1ヶ月でまとめて小冊子にして出版されたら買いたいと思うほど。
その中、読売新聞で取り上げていた「震災歌集」がとても気になった。まず、著者は俳人とのこと。それが3月11日のあの時から次々に沸き起こってきたのは短歌で、緊急出版に踏み切ったとある。何首か引用されていて、ダイレクトに突っ込んで来る言葉に驚いた(4月19日付 よみうり寸評)。その日が発売日で仕事帰りに大型書店に寄って買って帰って読んだ。それまで短歌といえば万葉集なり百人一首で、言葉の裏の意味が読み取れないと理解出来ない物だと思っていた。それが見たまま感じたままの言葉で詠まれているので、一首一首が弾丸の様である(蝉丸ではない)。
見たまま感じたままの言葉で、あとはちょっとの趣きのある言い回しがわかれば自分でも詠んでみたいと思った。すると、「震災歌集」のあとがきによればブログがあって既に多数投稿されているとのこと。さっそく見に行って、その数日後には投稿してみた。季語と歳時記より季語歳ブログ。今では2首掲載して頂いている。


尺八の稽古。
月に一度通っている尺八の稽古。昨年中に古典本曲の「本調」の楽譜を頂いたのだが、いまだに甲音(かんおん/1オクターブ高い音)が安定せず入門書を脱せずにいる。それは単に練習が足りないせいで、トランペットはプラクティスミュートや YAMAHA サイレントブラスを使って音を小さくできるけれど、尺八はそうはいかない。早く帰れた日は部屋でラジオの音でごまかしつつ音を出していたけど、今月はなかなかそういう時間もとれず、惨憺たるものだった。
しっかりしなきゃと思いつつニコニコ動画や YouTube で「尺八」を検索すると思った以上にヒットする。それぞれ特徴が出てて面白いのは、ニコニコ動画は日本の伝統楽器でアニメやゲームの曲を演奏してみたもの、YouTube では海外の方々が尺八に挑戦してアップしているものが多い。今回聴きたいのは「本調」という曲でなかなか見つけられなかったのだが YouTube で見つけたのは海外の女性が演奏しているものだった。その方のホームページがあって見に行ったところ、オーストラリアのシドニー工科大学で教授をしている博士。Max/MSP のパッチやらブレッドボードやら、コンピュータープログラミングと電子工作系のコンテンツが並ぶ。私は元々そっち方面をかじっていて、思いがけず再会を果たしたような奇妙な気持ちになった。


パンを焼いてみた。
これは何がきっかけなのか自分でもはっきりしない。昔「焼きたて!!ジャぱん」というマンガが(途中まで)好きだったのと、そこでも描かれていた「炊飯器で作るパン」が後に買った炊飯器レシピ本にも載っていたのと、ゴールデンウィークで時間に余裕が出来たのとが重なって「やってみるか」となった。結果から言えばカレーを作るより簡単。おいしく出来た。

2011年4月2日土曜日

花見

花見の頃合いはもう少し先だけど自粛だ何だと騒々しいので、ここはひとつ参考まで。

岩波文庫の「武士道」を読み直した。
震災以降どういう心構えでいたら良いのかまとまらないのと、不謹慎や自粛というのが私ら日本人に備わった美徳にあるとするなら、と。すると、花見を推奨していた。以下、引用。

創造者自身馨(かんば)しき香りをかぎてその心に新たなる決心をなしたもうたと記されたるを見れば[創世記8の22]、桜花の匂う好季節が全国民をその小さき住家の外に呼び出すに何の不思議もないではないか。たとい彼らの手足が暫時労苦を忘れ、彼らの胸が悲哀を忘れても、これを咎めるな。短き快楽が終われば、彼らは新しき力と新しき決心とをもって日常の業に帰るのである。

都知事がどう言ったのか改めて調べてみると「痛みを分かち合って連帯感を」と言っていて、あまり擁護したくない人なんだけど、この点はわかる。で、これらを両立するものがちゃんとある。

陰膳
その場にいない人の無事、亡くなられた方の冥福を祈って食事を用意するもので、マンガ「蟲師」で読んだ人もいるかと。ちゃんとお膳を用意するのは大げさにしても、ここはひとつ、盃なり缶ビールなり奉げて乾杯としたい。

2011年3月27日日曜日

経験—追記—

26日は変更ながら決行
上記リンクはライブイベント「external music party part 7 “震災後”」のブログエントリである。今でこそ”震災後”とあるが、発表時(2月14日)は「音楽の外側で音楽を感じる“ラジオを奏でる”」だった。場所は仙台。約1ヶ月後の3月11日、震度6の地震が襲った。

私はこのイベントを見に行くことを決めた。
主催する com4jai 氏とは私が所属していたパフォーマンス集団方法マシンの活動を通じて知り合い、第23回<東京の夏>音楽祭2007参加公演“手順派”合同祭『極東の架空の島の唄』では行動を共にして映像撮影と編集を担った方である。東京に来られる事が度々あり、都合が合えばよく一緒に飲み食いした。
その人が迷った末にライブを決行するという。それを知ったのは仕事を終えて帰宅中に見たツイッターで、それを知る直前に私は5月のゴールデンウィークに仙台に行くつもりで「ひとつ計画があって節約する」とツイートしていた。ある程度復興が見込まれて、交通もなんとか正常化する頃だろうという目論見があってツイートしたのだが、送信ボタンを押すまでのタイムラグで前後してライブ決行を知ると、この時点で1ヶ月前倒しして行く気になっていた。部屋に帰ってさっそく交通手段を探すと、あっさり高速バスがつかまった。そうとなればスケジュールの問題で、ライブの翌日の昼に尺八の稽古があり、稽古をキャンセルして宿泊するか、朝出て夜行で帰って来て一休みしたら稽古に行くか。後者を採った。

震災後の仙台。
仙台へは10年前に一度行ったことがある。友人が仙台にいたことと、せんだいメディアテークでテレビゲーム展が開催されるという事で、新幹線で日帰りした。それを今回は片道6〜8時間かけてバスで移動。往きの車中では持参したラジオでFM局を聴いていた。初めTokyo FMで、FM ふくしまが入るようになって、FM 仙台がクリアになって到着。
仙台駅近くのコンビニはガラスに新聞紙が貼られて中が見えない状態でどこも閉まっていた。ファストフード店も同様。ファミリーレストランやラーメン店などのようなところは開いていた。せんだいメディアテークへ行く途中の大きな商店街「クリスロード」ではシャッターを下ろしている店が目立ったが、人は多く賑わっていた。店先でお弁当やお惣菜を売って声をあげている店員さん、駅から少し離れて開いていたミスタードーナツやたいやき屋さんには長い行列が出来ていた。メディアテークは休止してて、中では作業員の方々が集まってミーティングをしているようだった。その先の公園をぶらついて橋を渡り、川の近くに降りて暇つぶしにトランペットをミュート装着で30分ほど吹いた。美術館や博物館は全て休館、仙台城跡は入り口まで行けて、伊達政宗像の所までは行けなかった。公園ではキックベースボールで遊ぶ子供たちがいた(懐かしい!!)

いよいよライブ。
パンゲア仙台に到着。徐々に人が集まって来ておしゃべりの中で情報交換が広がる。電気が通るまで何日かかったか、まだ水が出なくて水を汲んでる、津波にあって九死に一生を得た方のこと、ガソリン不足、取引先から売上金を回収できないなどなど。問題は山積。だけど、前向き。前を向くしかないにしても、悲壮感とは違う。パンゲアに集まった方々がそうだし、私が直接見ることが出来た杜の都仙台の商店街や公園でそうだった。今回PA抜きという制約の中で出演される皆さんはアコースティック楽器、電池駆動の機材、かぶり物(!)など駆使して演奏を繰り広げた。おそらく地震があったからといって、PA抜き以外に特別なことをしたのではなく、いつものライブのテンションで出し切っていたんじゃないかと思う。持ち時間の間、集中して。仙台でそれを見ることが出来たのは、予定通り帰れるのか不安を抱えてまで来た甲斐があったという物である。これは前述の東京音楽祭で三宅島に行った時もそう。ちょっと違うけど地震直後に5時間歩いて帰ったのもそう。私は懲りるんじゃなくて、自信をつけている。


追記
始めから書くつもりで忘れていた。時を同じくしてこの方々も動いていた。
「新・方法」災害支援ボランティアへの応募
http://7x7whitebell.net/new-method/adrv_j.html

2011年3月20日日曜日

祈願

東北地方太平洋沖地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被害を受けられた皆さまとご家族にお見舞い申し上げます。

3月11日の地震があった時、仕事中だった。
現在の職場は港区にあり、相変わらずのデスクワーク。緊急度が高い仕事をひとつ抱えていて PC に向かっていたところ、横揺れが始まった。だんだん強くなるのではなく、弱から強に切り換えたように揺れた。窓にかかるブラインドが大きく揺れて、それがガチャガチャとぶつかる音が一番大きかった。大きな揺れは2回あり、その間にビルのアナウンスでエレベータを停止したことが告げられたが、外に避難することはなかった。その外を見ると、お台場の方で黒煙があがるのが見えた。そのまま視線を移すと、旅客機は何事もないかのように空を飛んでいる。仕事に戻ろうと努めるが、とても手につかなかった。一方で、プロジェクトの維持と統括を担う方々が買出しに出かけて、帰宅できない方々を主な対象にパンやバナナ、お菓子が空いてる席に置かれた。帰宅を考えた時、Google Map で調べたところ幸いにも14kmほどだったので徒歩で帰ることにして、19時30分ごろ退社、休憩をはさみつつ5時間で帰宅した。そして、本棚はそのままで、上に載せていた物や中の本が散乱している様を目の当たりにした。割れた物がなかったのは幸いだった。

週明け、職場との往復。
月曜日の出勤では、JR は初めから切り捨てた。11日の対応が、終日見合わせにして駅ではシャッターを下ろして完全にシャットアウトというありさまだったので、丸ノ内線(東京メトロ)・大江戸線(都営地下鉄)・京急線(京急電鉄)の乗り継ぎとなった。帰りは山手線(JR)に乗ったが大変な混雑で、渋谷駅でバスに乗り換えた。火曜日以降は計画停電の実施と節電から本数が減少したものの、通常通りのルートで往復できるようになった。仕事では交通事情を鑑みて、平常であれば16時、遅くとも18時には全員退社という対応が採られた。お客様の規模が大きく、システムを止めると全国にある支社・支店の業務に支障が出ることから、あくまでも安全を優先した上で、可能な限り出社するというスタンスである。ツイッターでも「自粛より経済を回そう」というつぶやきが増えてきたころで、早く帰りたいという欲求と、頑張れるんだから頑張るという意地と、相半ばした。

好きな事をやれるから、やる。
節電しないと詰み、という状況の中で、楽器が好きな私は Tp. を引っ張り出した。プラクティスミュートかヤマハ サイレントブラスを使えば迷惑にならないので、音を出していた。その間もラジオは点けっぱなし、インターネットではツイッターと USTREAM の中継は立ち上げていた。ラジオについては全て電池駆動の単体機で、同居人がラジオ番組のファンであることと、私がラジオのファンであることから、互いに1つずつプラス据え置きで1つという盤石の態勢である。その音でごまかすようにして楽器を鳴らす。そうしてないと落ちつけなかった。
そうしたところ、19日にチャージフリー、誰でも参加できるライブイベントがあることを知った。過去に何度か行った事があり、そのうちの何度かは自ら演奏もしたことがあるお店。以前デュオをお願いしたこともあるKO.DO.NA氏が出演するとあり、持てる限りの楽器を持って行った。演奏というかパフォーマンスで自分の無事を噛み締め、被災地の復興を祈願した。

2011年3月6日日曜日

民謡

古書市をやっていたので寄って見つけたのが「民謡の教本」。
横長の本で、米谷威和男氏の著作。前書きによると約600曲の歌詞が収録されていて、「これだけ知っていれば、ステージなどでは、充分に間に合う程度には限定し」とあることから、資料としてではなく演奏者向けに書かれたものとわかる。各曲には「修了」欄があり、日付と尺八の長さ(○尺○寸)、三味線の本数を書き入れるようになっている。書籍で一番最後のページに記載される発行所を見ると米谷尺八学院となっていた。いわば歌本やジャズの青本にあたるものだろう。

曲名と歌詞しか載っていない。しかしそこには……
「民謡の教本」には残念ながら歌本ならあって当然のメロディーの楽譜がなく、歌詞しかわからない。手に取ったときに購入をためらったのだが、その最大の理由がこれ。とはいえ、日本全国の民謡の詞が読めるというのはとても興味深い。それで購入して、帰りに寄ったジャズ喫茶「ナジャ」でジャズを聴きながらこの「民謡の教本」を開いた(蛮行)。先に曲名を50音順に並べた目次があって、パラッとめくったら島根県の「キンニャモニャ」、その隣に熊本県の「キンニョムニョ」とある。もうガッツポーズである。熊本県には「ポンポコニヤ節」もあり、火の国がやたらとかわいい。いやしかし、民謡は農作業などの辛い仕事中に歌って鼓舞する用途もあり、のんきに笑えないケースがある。こころしてページを開いた。

花の熊本 長六橋から眺むれば オヤ ポンポコニヤー

良かった。萌えソングだった。

今更ながら民謡の奥深さを痛感。
ラジオを点けっぱなしにしてると民謡の番組が流れることがあって、正直に言うとそういう時は居心地の悪さを感じてしまう。普段聞き慣れている(慣らされている)音楽とは大違いだし、演奏者も観客もご年配の方がほとんどとあって世代のギャップがどうしようもなく横たわる。例外的に津軽三味線・よさこい祭り・阿波踊りの類はノリが良く受け入れられているが、ほとんどの民謡はそうはいかない。それでスルーしてしまうのだが、活字で自分のペースで読んでみるといろいろ発見がある。例えば、真意はわからないが、島根の「出雲音頭」は「私がやろうか、私がやるのでは合わないかもしれない、合わなかったら囃子でたのむ」という歌詞。これだけ読むとメタ民謡である。そんな調子で、「民謡の教本」は目から鱗を落としまくる良い買い物となった。

2011年2月26日土曜日

噪音

昨晩、新高円寺駅の近くにあるバー「JUKEBOX」での事から。
蚕糸の森公園へトランペットと尺八の練習をしに行く途中にあり、「黒人音楽酒場」と書かれた看板と入口付近に並べて貼られたソウルシンガーのポスターが気になっていた店で、その厳つさから敬遠していたのだがようやく入ってみた。店内の壁はサイン入りの写真やレコードジャケットだらけで、かかっていた音楽はソウル。客は私一人である。ソウルはあまり聴かないのだが嫌いというわけではなく、I.W.ハーパーのロックを傾けながら普通に聴いていた。ポツポツとマスターとおしゃべりするなかでトランペットを練習していることを話すと、ソウルからジャズに変えてくれた。Miles Davis/Kind Of Blue のレコード盤。CD ではなくレコード盤だったことで、大変に沁みた。

そこで、レコード盤で再生する場面を思った。
私にとってまず馴染みがあるのはクラブミュージックの DJ である。この場合は CD にない音圧や音響特性が取り沙汰される事もあるが、主には曲と曲を繋ぐ時のピッチ補正や、スクラッチなどによる積極的な音作りなど、レコードとレコードプレイヤーによる機械としての側面がクローズアップされる。CD プレイヤーが発売されるようになってすぐにはこういった用途に使えなかったが、パイオニアから CDJ シリーズが発売されると徐々に移行していき、今では USB メモリや SD メモリを直に挿せるミキサーや PC に繋ぐコントローラーが充実して機械でなくなった。音がクリアで持ち運びが簡単、操作性に遜色が無いどころかテンポ検出は元より波形表示など、そのメリットは大きい。音量は大きく、クリアに。ノイジーな音楽を再生した場合、記録されているノイズをクリアに再生するのである。レコード盤である必要性が低くなって来た分野である。
もうひとつの場面は、コレクションである。今でこそ CD や iTunes などのオンラインで再発が相次いでいるが、作品が作られたその当時にレコードを購入して今でも大事に聴くというもの。老舗のクラシック喫茶やジャズ喫茶で聴かせてくれるものがこれにあたる。ここでも例えば PC に取り込んでプレイリストに並べて再生ボタン一発でそれこそ24時間盤の交換要らずという使い方も想定できるが、それは手間だし、何より無粋という意識が働くかもしれない。既にある物を、あるがままに長年聴かせて来たのがレコード盤となる。音量は控えめ、レコード盤ならではのノイズが乗る。

タイトルの「噪音」は、「騒音」ではない。
冒頭の黒人音楽酒場での話に戻るのだが、しっとりしたジャズにレコード盤のノイズが乗ると雰囲気が大きく広がる。以前何かで読んだ本でレコードのノイズを雨音に例えていたが、正にそんな感じ。こういった効果的なノイズを「噪音」と呼んで良いのかもしれないと思った。Wikipedia の「倍音」の項目に説明があるのだが、和楽器などの民族楽器で重要視される音である。音楽的に効果のあるノイズ、心地の良いノイズとでも言ったら良いか。再発される過去の名曲、プレイヤーが目の前で演奏しているかのようなみずみずしさで聴かせてくれるのもいいけど、レコード盤に針を乗せて聴くのも良いものだ。

2011年2月20日日曜日

近況

前回の投稿から1ヶ月がとうに過ぎて、かけあしで振り返る。

音楽の複数次元 ジョン・ケージ『ヴァリエーションズVII』
1月29日と30日に行われたコンサートで、世界中の音をリアルタイムに収集・選択・ミックスして聴かせる作品が上演された。事前に出演者から「音」を募集するメールを頂いていたので、29日は会場で鑑賞、30日の日曜日に提供者として参加した。ここで言う音の提供とは USTREAM を使った音の送信で、私は東京競馬場へと出かけた。賭け事はしない質で競馬場に行く事自体が初めての事なのだが、独特の雰囲気が伝わればいいなと。
会場では中心にステージというか作業スペースが据えられ、コイルや水槽、ジューサーに扇風機といった物で雑然としたところを演奏者が思い思いに行き来する。観客はそのまわりを自由に歩き回れたのだが、私は遅れそうになって走って到着したので疲れていたこともあり、座布団にドッカと座って定点観測と決め込んだ。すると、スピーカーの方が目の前に近づけられて、時折爆音を聴くことに。
この作品の肝は、いかに音を集めるか、および、どのようにミックスするかにかかっている。後で知ったのだが、ステージ上に置かれた家電は出来る限り作曲された当時の1960年代の物が集められたそう。それらを使って目の前で行われている行為と直結した音が聞こえたり、聞こえなかったり、目の前にスピーカーが来た時にかすかに鳴っていた音が、テレビやラジオの音なのか、誰かが USTREAM で送ってきた音なのか、そういった事が漠然としたまま身を任せる感覚。SF やファンタジー、オーディオマニアの評論だったら身体感覚が拡散して世界と一体になるところだが、街の雑踏とも違う音の洪水で、ただただ面白かった。最後に付け加えると、競馬場から送った音がいつ拾われてどんな音量で再生されるのかは分からなかったのだが、後で聞いたところによると、ファンファーレが鳴り響いたそうである。してやったり。

プロジェクト5 研究シンポジウム・シリーズ vol.3《方法論としての音楽》
これは近頃特に気になっていた事で、作曲者が一音一音指定するのではなく、ほとんどの事を演奏者に任せる類の図形楽譜についての話と、その延長線上で音楽と言いつつ音として認識できない作品が生まれて、それとどう向かい合ったら良いか、パフォーマンス付きでお話が聞ける機会となった。向き合い方についてはだんだん折り合いがつけられるようになって来たのだが、作曲者が出音について興味がない(ニュアンスは『積極的に関わらない』)という話はショックだった。方法マシンに参加していながら何言ってるのか、と思われるだろうが、割合で言えば楽器の指定がある音楽らしい作品の方が多かったように思う。シンポジウムのパフォーマンスも「音楽の臨界点とその外部」との文言にほぼ偽りなく、ギリギリのところを感じた。それで結局未だに「音と関係ない音楽」にモヤモヤしているのだが、それはやはり私が楽器が好きという嗜好から来るしりごみだと思っている。ただし、その嗜好を掘り下げると銃器マニアや機械式カメラマニアだった時期もあり、何というか、カチャカチャと手を動かして結果が出る物が好きで、楽器にこだわらなくなる日が来るかも知れず、その時に自分は何をやろうとするのかが気になる。

あと、昨晩に即興演奏の録音をした。
http://soundcloud.com/yeemyu/20110219-1

その前日に江古田のフライングティーポットで、飛び入りでセッションに参加させて頂いてシンセ(エレピがメインで SawWave も少々)で音を出したのだが、やはり楽しい!

2011年1月5日水曜日

謹賀新年

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

今回の年末年始は今までにないものにした。
年末年始は実家で過ごすのが当たり前だと思っていたので、1回だけ普段住んでいる東京で初詣に行った年はそれだけで特別な感じがした。それが、今年の年明けは京都のカプセルホテル。進化したんだか劣化したんだかよくわからない年明けである。事の発端はあるにはあるのだが、実行に移す段階に至っては即興だったと言いきれる。

2010年12月30日
この日については前々から沖縄から遊びに……失礼……使命を帯びて東京を訪れた友人を中野ブロードウェイに案内して、夕方から飲み会という予定が立てられていた。その当日の朝に、大阪・京都に行って静岡の実家にも寄り、3日間なら同居してる獣が餓死しないだろうというプランが閃いたのである。それが、新宿での飲み会から京都に停まる夜行の高速バスに直接乗るというもの。即PCを立ち上げて高速バスの空席をチェックすると2席空いている!これで決まった。飲み会を盛大に楽しんでカラオケまでご一緒して、翌日東京ビッグサイトで決戦を迎える方々をあとに、私はバスターミナルへと向かった。

2010年12月31日
朝の6時半過ぎに京都駅烏丸に到着。この時は天気が良く綺麗な朝焼けを写真(下に添付)に撮ったのだが、ガストで朝食を採ってるうちに雪が降り出した。雪の勢いは増す一方だが、インターネットで見つけた嵐山の法輪寺に行くと決めてバスに乗り込んだ。小一時間で到着したのだが既に一面の雪景色。法輪寺は「嵯峨野を一望出来るスポット」と紹介されていたのだが、雪で視界が悪く、ただただ真っ白だった。景色は見れなかったが、法輪寺のお守りは手にした。実はこのお寺には「電電宮」というお宮があり、電波・電気・電子・情報の神様が奉られているのである。
長居は無用とバスに乗って京都駅まで戻り、京都市役所まで地下鉄で移動。この辺りは寺町通りなど大きな商店街があって、目的地の一つ「パララックスレコード」も近くにある。カフェの奥にある部屋で営業しているCDショップで、電子音楽や現代音楽が専門。ここで店長お薦め!とある北欧の電子音楽のCDを購入した。
お昼が過ぎて京都市役所前駅の改札横で「無音ストリート」を開催している歳森さんの演奏を聴きに行った。2007年に今は無き大阪ブリッジのピアノ即興演奏でご一緒した方で、無音ストリートの演奏を楽しんだ後、少しお話をうかがう事も出来た。実験色の濃いライブだけど手応えを感じてて、とても充実しているようだった。
晩ご飯は豪勢にして、泊まるところはこれまたその場で予約したカプセルホテル。すぐ近くにマルツ電波パーツ館ととらのあながあって、京都に来たのに秋葉原にいるかのような感覚を味わった。それが大晦日の夜である。

2011年1月1日
元旦。京都の秋葉原みたいなところにあるカプセルホテルで起床。実家向けのお土産を買って、そそくさと電車移動。そう。京都まで行っておきながら除夜の鐘も聞いてないし初詣にも行っていないのである。それより、日没までに実家にたどり着く事を優先した。実家ではのんびりと過ごした。それだけ。

2011年1月2日
バッグの中に12月30日にもらった泡盛がずっと入っていて、そこに実家でもらった麦焼酎が加わり、さらにはお米3升(約5kg)も持ち帰ることになって、逆兵糧攻めである。もちろん有難いし嬉しい気持ちもあるのだが、いかんせん重すぎ。それでも無事
、夕方には東京に着いた。部屋で一休みした後、都立大学ジャミンへフリーセッションに参加しに行った。新年明けてまだ2日目である。そんな物好きそうそういないだろうと思ってヒーロー気取りで行ったら普段と変わらない盛況ぶりだった。