昨晩、新高円寺駅の近くにあるバー「JUKEBOX」での事から。
蚕糸の森公園へトランペットと尺八の練習をしに行く途中にあり、「黒人音楽酒場」と書かれた看板と入口付近に並べて貼られたソウルシンガーのポスターが気になっていた店で、その厳つさから敬遠していたのだがようやく入ってみた。店内の壁はサイン入りの写真やレコードジャケットだらけで、かかっていた音楽はソウル。客は私一人である。ソウルはあまり聴かないのだが嫌いというわけではなく、I.W.ハーパーのロックを傾けながら普通に聴いていた。ポツポツとマスターとおしゃべりするなかでトランペットを練習していることを話すと、ソウルからジャズに変えてくれた。Miles Davis/Kind Of Blue のレコード盤。CD ではなくレコード盤だったことで、大変に沁みた。
そこで、レコード盤で再生する場面を思った。
私にとってまず馴染みがあるのはクラブミュージックの DJ である。この場合は CD にない音圧や音響特性が取り沙汰される事もあるが、主には曲と曲を繋ぐ時のピッチ補正や、スクラッチなどによる積極的な音作りなど、レコードとレコードプレイヤーによる機械としての側面がクローズアップされる。CD プレイヤーが発売されるようになってすぐにはこういった用途に使えなかったが、パイオニアから CDJ シリーズが発売されると徐々に移行していき、今では USB メモリや SD メモリを直に挿せるミキサーや PC に繋ぐコントローラーが充実して機械でなくなった。音がクリアで持ち運びが簡単、操作性に遜色が無いどころかテンポ検出は元より波形表示など、そのメリットは大きい。音量は大きく、クリアに。ノイジーな音楽を再生した場合、記録されているノイズをクリアに再生するのである。レコード盤である必要性が低くなって来た分野である。
もうひとつの場面は、コレクションである。今でこそ CD や iTunes などのオンラインで再発が相次いでいるが、作品が作られたその当時にレコードを購入して今でも大事に聴くというもの。老舗のクラシック喫茶やジャズ喫茶で聴かせてくれるものがこれにあたる。ここでも例えば PC に取り込んでプレイリストに並べて再生ボタン一発でそれこそ24時間盤の交換要らずという使い方も想定できるが、それは手間だし、何より無粋という意識が働くかもしれない。既にある物を、あるがままに長年聴かせて来たのがレコード盤となる。音量は控えめ、レコード盤ならではのノイズが乗る。
タイトルの「噪音」は、「騒音」ではない。
冒頭の黒人音楽酒場での話に戻るのだが、しっとりしたジャズにレコード盤のノイズが乗ると雰囲気が大きく広がる。以前何かで読んだ本でレコードのノイズを雨音に例えていたが、正にそんな感じ。こういった効果的なノイズを「噪音」と呼んで良いのかもしれないと思った。Wikipedia の「倍音」の項目に説明があるのだが、和楽器などの民族楽器で重要視される音である。音楽的に効果のあるノイズ、心地の良いノイズとでも言ったら良いか。再発される過去の名曲、プレイヤーが目の前で演奏しているかのようなみずみずしさで聴かせてくれるのもいいけど、レコード盤に針を乗せて聴くのも良いものだ。
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