2013年6月19日水曜日

ワークショップ2題

今月、2つのワークショップに参加した。

1つめは即興演奏のワークショップ。名は「ピアノアピ」。元々は千野秀一・新井陽子の両氏が立ち上げたワークショップで、ピアノを2台使えるのが前提のもの。変遷があって、今では古参の参加者が運営を担って楽器や楽器でないものを持ち寄っての即興演奏ワークショップとなっている。1回で4時間、それを年に4回ほどのペースで、かれこれ5〜6年は続いているだろうか。楽器の演奏経験がなくても自由に参加出来て、上手いも下手もない、音そのものや音を介したコミュニケーションという好奇心を原動力に続いている。私が高円寺グッドマンで月イチのレギュラー出演をしているのも、このワークショップが2段ロケットの2段目の役割を果たしたのである。
ちなみに1段目は私が東京に転勤になって間もない頃に no protocol というユニットに参加してライブに出演した事なのだが、そのライブをきっかけに知り合った方がつい先日亡くなられた。長く疎遠だったものの一昨年くらいに SoundCloud に音楽が公開されているのを聞いて健在であることを喜んだというのに、残念極まりない。つくづく悔やまれる。

2つめは音響詩のワークショップ。足立智美氏が主催。
音響詩というのは言葉の持つ意味から逸脱して、言葉を構成している音をバラして組み直すなどの手法を用いた詩。一般的な詩の朗読のつもりでいると支離滅裂な声を聴くことになって面食らうが、とても面白くて知的好奇心を刺激されまくっている。しかし、なかなかお目にかかれない芸術で、Wikipedia では日本語の項目が無いなど知名度も低い。このワークショップも日本で開催されたのはこれが初ではないかとの事。6時間のうち前半の3時間が音源や映像を交えた座学で、後半の3時間は参加者が作成してパフォーマンスする時間となった。もうひとつ視覚詩という詩も存在して、こちらはレイアウトが解体・再構築される。

単に知識を集めるのであれば図書館へ行ってもよし、インターネットを利用するのもよし。それがワークショップになると現実に目の前で物事が進行して影響されるし、また、自分が動くことで他者の影響を目にすることにもなり、面白い。いかんせんこういう機会は都市部が恵まれているのは否めないけれど、興味がある分野で参加もしくは見学でも出来るチャンスがあれば足を運んでみるのをお薦めしたい。


2013年6月8日土曜日

人となり

前回どんな事を書いたか忘れるくらいに間を開けてしまった。
読み返してみて思い出した。書きたいと思ったことを書き出したら、一々調べて情報の確度を上げる事に疲れてしまったのだった。今回はもっと気楽に。

将棋でコンピュータとプロ棋士が対戦して一ヶ月が経過しただろうか。
盤上の勝負の行方から棋士の人間味へと話題は大きな拡がりを見せて大いに楽しめた。盤面だけ見てもチンプンカンプンだが、観戦記を読むと勝敗を決した一手の意味と、それが指された時の控え室などの様子が読めてとても面白い。その中に、電王戦ならでは、かつ、かなり画期的な場面じゃないかと思われるところがあった。プロ棋士やベテラン記者などの間に混じって、開発者の姿があったことである。こんな事は滅多に無いはずで、観戦記の中でも嬉々としている様子が見て取れる。

開発者の人間味。
はっきり言って、開発者の素顔なんてものはまったく知られていなかった。パソコン雑誌の記者やプログラミング入門の講師といった方々と違って、趣味にしては高度な専門知識を必要とする研究者といったポジション。そういった方々が作成したソフトが今回5本集まって、事前に対戦相手にソフトを貸し出すか否かでも考えが分かれていた。

伽藍に現れる個性。
ソフトウエア開発で有名な話に、「伽藍とバザール」がある。門外不出の技術で全部一手に作り上げる伽藍のような開発手法と、興味を持った人々が集まって思い思いに作り上げられるバザールのような開発手法。将棋プログラムは明らかに前者に属するもので、作り手の顔がはっきり見える。スーパーマーケットの野菜売り場で見かける「私が作りました」のようなものだ。それが将棋の癖にもなり、おそらくコードにも癖があるだろう。これがオープンソースによる共同開発だとそういう面白味が欠けてしまう。OSやブラウザなどの汎用的でクリティカルな分野では共同開発が好まれるが、こういったゲームなどの嗜好的なアプリケーションは共同開発に拘らなくても良いのではないか。私はオープンソースのアプリケーションを好んで利用するけれど、ソースの公開は良いとして、コミット権は必ずしも与えなくても良いと考えている。