2013年6月8日土曜日

人となり

前回どんな事を書いたか忘れるくらいに間を開けてしまった。
読み返してみて思い出した。書きたいと思ったことを書き出したら、一々調べて情報の確度を上げる事に疲れてしまったのだった。今回はもっと気楽に。

将棋でコンピュータとプロ棋士が対戦して一ヶ月が経過しただろうか。
盤上の勝負の行方から棋士の人間味へと話題は大きな拡がりを見せて大いに楽しめた。盤面だけ見てもチンプンカンプンだが、観戦記を読むと勝敗を決した一手の意味と、それが指された時の控え室などの様子が読めてとても面白い。その中に、電王戦ならでは、かつ、かなり画期的な場面じゃないかと思われるところがあった。プロ棋士やベテラン記者などの間に混じって、開発者の姿があったことである。こんな事は滅多に無いはずで、観戦記の中でも嬉々としている様子が見て取れる。

開発者の人間味。
はっきり言って、開発者の素顔なんてものはまったく知られていなかった。パソコン雑誌の記者やプログラミング入門の講師といった方々と違って、趣味にしては高度な専門知識を必要とする研究者といったポジション。そういった方々が作成したソフトが今回5本集まって、事前に対戦相手にソフトを貸し出すか否かでも考えが分かれていた。

伽藍に現れる個性。
ソフトウエア開発で有名な話に、「伽藍とバザール」がある。門外不出の技術で全部一手に作り上げる伽藍のような開発手法と、興味を持った人々が集まって思い思いに作り上げられるバザールのような開発手法。将棋プログラムは明らかに前者に属するもので、作り手の顔がはっきり見える。スーパーマーケットの野菜売り場で見かける「私が作りました」のようなものだ。それが将棋の癖にもなり、おそらくコードにも癖があるだろう。これがオープンソースによる共同開発だとそういう面白味が欠けてしまう。OSやブラウザなどの汎用的でクリティカルな分野では共同開発が好まれるが、こういったゲームなどの嗜好的なアプリケーションは共同開発に拘らなくても良いのではないか。私はオープンソースのアプリケーションを好んで利用するけれど、ソースの公開は良いとして、コミット権は必ずしも与えなくても良いと考えている。

     

2 件のコメント:

  1. MIXIの将棋コミュでは「PCにも制限を持たせるべきだ。使用ワット数、メモリー数など」と変な意見も出ているんですが、個人的には「コンピューター将棋VSコンピューター将棋」だと、どんな手が出るのか?に興味があります。

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  2. ワット数はやり過ぎですねw ついこの間までやっていた名人戦で、コンピューター将棋で生まれた手が名人によって指されたそうです。コンピューターが正解を知ってて、それを人間が当てられるか、というゲームになる予感です。

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