2013年4月19日金曜日

人間対コンピュータに思うこと

第2回電王戦、最終戦が今度の土曜日。
コンピューターに興味を持つのと同時に真っ先に考える事といったらゲームである。弾道計算をはじめとした科学計算ではないところが掛け値なしの凡人である証明。ともかく、大半のアナログゲームは1人以上相手がいないと遊べないのだが、コンピューターがその相手を務めてくれるとなれば気兼ねなしに自分の気が済むまで遊べる。作り手から見ると、コンピューターにゲームをプレイさせるというのは多分に科学的なチャレンジで、研究目的としても恰好の題材になる。コンピューターゲームの歴史を調べてみると、三目並べが1952年に開発されている。

OXO


それから半世紀でチェスは完全に人間のトッププロと比肩した。それから約20年たって将棋がいよいよというところに来ている。ちなみにオセロ(リバーシ)は一般的なパソコンのスペックで動くプログラムで既に負けなしのようである。英語版Wikipediaによれば、1997年に村上健氏に勝って以降はコンピュータープログラム同士の対戦となっている。


Computer Othello
http://en.wikipedia.org/wiki/Computer_Othello#Milestones_in_Computer_Othello


ただし、村上健氏の対戦は何かと問題があったようである……


オセロプログラムと人間はどっちが強いのか?ロジステロとの戦い
http://uguisu.skr.jp/othello/7-2.html


事ここに至って思うのは、コンピュータに勝てなくなったからと言って、そのゲームの魅力が失われてしまうかどうか。悶々と考えてしまうのだが、これがどうもはっきりしない。何にはっきりしないのか苦労して掘り下げてみると、もともと相手を探す必要があったのをコンピュータで代用したのが始まりだったのが、いつの間にか「プロが負けるのか?遂に負けてしまうのかー!?」という別の価値基準に置き換わっているのではないかと思い当たった。プレイヤーと研究者の微妙なズレもあるように思う。もちろん、強いプレイヤーが強いソフトを望むのは至極真っ当な事なのだが、その視点から見れば手応えを求めていたら歯が立たなくなったという状況が生まれつつある。

おそらく将棋で言えばプロ棋士との対局では次回の第3回電王戦が最後になるのではと思う。でも、それがコンピュータ将棋そのものの最後かというとそうではなくて、強さではなくキャラ付けに未来があると思っている。

最後に面白かった本をご紹介。将棋のプロ棋士がコンピュータソフトと初めて公式で対戦した記録と、棋士というだけで個性的な方だらけなのにその中でも屈指の升田幸三の本。後者はビジネス書としても人気があるらしい。

   

2013年4月11日木曜日

かわいいプログラミングの組み合わせ

Twitterのbotを作った。

骨筋飛蝗ボット
https://twitter.com/YeeMyu_bot

time signal というのは時報のこと。ご覧の通り、毎時00分になるとwavファイルへのリンクを投稿するので、音が聴けるようになっている。鐘の音とは程遠い音だけれども。

今時botを作ろうと思ったらネット上でブラウザから必要事項を書き込むだけで高機能なbotが作れてしまうものだが、それらのbotがツイートするのは大抵定型文である。とはいえバカにできない代物で、TLに現れた語句に反応して返すといったことも出来るらしい。

実はbotを作るのは今回が初めてでなく、時分が回文の並びになるとツイートするというbotを作って動かしたことがある。例えば12時21分とか、23時32分とか。その時も今回も使用したのはPythonというプログラミング言語から利用出来るpython-twitterである。

python-twitter
http://code.google.com/p/python-twitter/

これを使えばほんの数行だけコードを書くだけでプログラムからTwitterに投稿が出来たり、TLやフォロワーなどを取得出来る。ほんの数行だけで……ほら、かわいい気がしないか?

……しないと思うけれども、せっかくなので。ともかく、これで簡単に自動的にツイートする仕組みは出来る。それだけで作ったのが前回の回文時刻だ。しかし、今回はPythonを柱にして、ChucKという音声用のプログラミング言語を呼び出して音声ファイルを作らせて、そのファイルをホームページ用のサーバーにFTP転送、それから前述の通りURLをツイートするという事を考えた。このうち、未経験なのはFTP転送の部分。これについてはPythonがインストールされていれば何も追加しなくても機能が使えるようになっていて、マニュアルを読んですぐに実装できた。音声ファイル作成のプログラムを呼び出して、FTP転送して、Twitterにツイートするまで20行ほどしか書かなかった。ほら、やっぱりかわいい。

最後に専門的なことを。
上記のpython-twitterだが、私の環境Debian Linux 6で上記のリンク先に書かれている手順で書かれている通りにならなかった。まずDownloadにあるtarファイルからのインストールでは、インストールは出来たっぽいがTestingで派手にエラーになる。それもそのはずで、存在することになっている「testdata」というディレクトリが存在しないから。
次にリポジトリからソースを直接取得する方法では、インストールがスタート直後にエラーで止まる。これは「README.md」というファイルが無いから。見ると「README」というファイルはあるので、コピーしてファイル名に「.md」を付け足して通した。Testingは一部エラーになる。その原因は、今度は「testdata」というディレクトリはあるものの、中のファイルが一部足りないからである。付き合ってられんのでそのままにした。今回の用途ではまったく影響なし。

肝心の音声についてなどまだまだ書けることはあるがここまでにしたい。以下、なりふり構わずAmazonアソシエイトのリンク。私が実際に購入したことがあり、今回の記事と関係がある本を挙げる。いわゆる動物本ばかり……

     

2013年4月7日日曜日

アナログゲームをやりたい

昭和50年生まれ、文科系に偏った趣味を持つ生涯……
いきなり何を言い出したかと言えば、ここ数日の間にかみさんが動画サイトのクトゥルフTRPGリプレイ風動画に大ハマりしている事に端を発する。書き出しにあるとおりの年齢である私にとって、「クトゥルフの呼び声」を最初に目にしたのはかれこれ20年くらいの昔、マイコンBASICマガジン誌面上である。


このころはTRPGで言えば「ソードワールド」が全盛期、「ロードス島戦記」のOVAなどもあってちょっとしたブームだったのを記憶している。ちなみに、「ロードス島戦記」は音楽を菅野よう子氏が手がけた最近のものではなく、萩田光雄氏によるもの。先ほどWikipediaを引いたら「シクラメンのかほり」の編曲でレコード大賞編曲賞を受賞とあって驚いた。リアル厨ニだった当時、友人からサントラを借りて大いに気に入り、別の友人からはピアノ譜を借りてYAMAHA PORTATONE PSR-210で練習したのを思い出す。今なら再習得中のトランペットとか稽古中の尺八でメロディーを演奏できるかも。

閑話休題。
どうやら「這いよれ! ニャル子さん (GA文庫)」がクトゥルフ神話に光を当て、ずっと下火だったTRPGに油を注いだ形になってかみさんの目に触れたようである。その煽りを食って、前述の通りベーマガでTRPGの記事を読んで以来は神話生物やSAN値といった周辺知識ばかり吸収していたところから脱却して、20年越しにH.P.ラヴクラフトの原作を読み出したところである。


失礼ながらTRPGについては、プレイヤーの世代が私と近くて、今までずっと続けてこられたか、まわりに一緒にプレイできる人がいなくてくすぶっていたのがインターネットの力を得てオンラインセッションを始めるといった経緯をたどった、ぶっちゃければ枯れた分野だと思っていた。ところが、ここ1〜2年でもっと若い世代にも認知されてきているようだ。めでたい!

もう一つの潮流。
ご多分に漏れず近くにTRPGをプレイできる友人がいなかった中高生時代が過ぎ、大学生になったころに流行り出したのが「マジック:ザ・ギャザリング 」。今でこそ様々なトレーディングカードが発売され、テレビゲームで有名な某メーカーが参入して一大ブームになった時には、「お金を刷っているようだ」と言わせるに至った不況知らずの分野であり、ゲームのシステムから販売形態まで丸ごとお手本となった黒船製品である。こちらはTRPGと違ってなんどかプレイした事があるのだが、つい先日Wikiサイトを見に行ったら、私が覚えた当時の用語が「廃語」にカテゴライズされていて泣けた。とはいえ、重厚なイラストと世界観が好みで、国産のアニメイラストにまったく馴染めないでいる私には、MtGが唯一の選択肢であることが変わらないでいる。
とはいえ、何も知らないまま保守的でいるのは良くないので、ブシロードの製品やプレシャスメモリーズと比較してみたところ、販売形態は言わずもがな、ゲームシステムも1ターンが複数のフェイズに分かれている点、基本ルールよりカードのテキストが優先されるアグレッシブなゲーム性などはそのまま引き継がれているものの、各々の世界観に合わせた細かいアレンジがきちんとしていて好感が持てた。ファイナルファンタジーもドラゴンクエストもシムシティーもみんなオンラインゲームになったけれども、アナログゲームもまだまだ捨てたものではなかった。