横長の本で、米谷威和男氏の著作。前書きによると約600曲の歌詞が収録されていて、「これだけ知っていれば、ステージなどでは、充分に間に合う程度には限定し」とあることから、資料としてではなく演奏者向けに書かれたものとわかる。各曲には「修了」欄があり、日付と尺八の長さ(○尺○寸)、三味線の本数を書き入れるようになっている。書籍で一番最後のページに記載される発行所を見ると米谷尺八学院となっていた。いわば歌本やジャズの青本にあたるものだろう。
曲名と歌詞しか載っていない。しかしそこには……
「民謡の教本」には残念ながら歌本ならあって当然のメロディーの楽譜がなく、歌詞しかわからない。手に取ったときに購入をためらったのだが、その最大の理由がこれ。とはいえ、日本全国の民謡の詞が読めるというのはとても興味深い。それで購入して、帰りに寄ったジャズ喫茶「ナジャ」でジャズを聴きながらこの「民謡の教本」を開いた(蛮行)。先に曲名を50音順に並べた目次があって、パラッとめくったら島根県の「キンニャモニャ」、その隣に熊本県の「キンニョムニョ」とある。もうガッツポーズである。熊本県には「ポンポコニヤ節」もあり、火の国がやたらとかわいい。いやしかし、民謡は農作業などの辛い仕事中に歌って鼓舞する用途もあり、のんきに笑えないケースがある。こころしてページを開いた。
花の熊本 長六橋から眺むれば オヤ ポンポコニヤー
良かった。萌えソングだった。
今更ながら民謡の奥深さを痛感。
ラジオを点けっぱなしにしてると民謡の番組が流れることがあって、正直に言うとそういう時は居心地の悪さを感じてしまう。普段聞き慣れている(慣らされている)音楽とは大違いだし、演奏者も観客もご年配の方がほとんどとあって世代のギャップがどうしようもなく横たわる。例外的に津軽三味線・よさこい祭り・阿波踊りの類はノリが良く受け入れられているが、ほとんどの民謡はそうはいかない。それでスルーしてしまうのだが、活字で自分のペースで読んでみるといろいろ発見がある。例えば、真意はわからないが、島根の「出雲音頭」は「私がやろうか、私がやるのでは合わないかもしれない、合わなかったら囃子でたのむ」という歌詞。これだけ読むとメタ民謡である。そんな調子で、「民謡の教本」は目から鱗を落としまくる良い買い物となった。
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