東北地方太平洋沖地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被害を受けられた皆さまとご家族にお見舞い申し上げます。
3月11日の地震があった時、仕事中だった。
現在の職場は港区にあり、相変わらずのデスクワーク。緊急度が高い仕事をひとつ抱えていて PC に向かっていたところ、横揺れが始まった。だんだん強くなるのではなく、弱から強に切り換えたように揺れた。窓にかかるブラインドが大きく揺れて、それがガチャガチャとぶつかる音が一番大きかった。大きな揺れは2回あり、その間にビルのアナウンスでエレベータを停止したことが告げられたが、外に避難することはなかった。その外を見ると、お台場の方で黒煙があがるのが見えた。そのまま視線を移すと、旅客機は何事もないかのように空を飛んでいる。仕事に戻ろうと努めるが、とても手につかなかった。一方で、プロジェクトの維持と統括を担う方々が買出しに出かけて、帰宅できない方々を主な対象にパンやバナナ、お菓子が空いてる席に置かれた。帰宅を考えた時、Google Map で調べたところ幸いにも14kmほどだったので徒歩で帰ることにして、19時30分ごろ退社、休憩をはさみつつ5時間で帰宅した。そして、本棚はそのままで、上に載せていた物や中の本が散乱している様を目の当たりにした。割れた物がなかったのは幸いだった。
週明け、職場との往復。
月曜日の出勤では、JR は初めから切り捨てた。11日の対応が、終日見合わせにして駅ではシャッターを下ろして完全にシャットアウトというありさまだったので、丸ノ内線(東京メトロ)・大江戸線(都営地下鉄)・京急線(京急電鉄)の乗り継ぎとなった。帰りは山手線(JR)に乗ったが大変な混雑で、渋谷駅でバスに乗り換えた。火曜日以降は計画停電の実施と節電から本数が減少したものの、通常通りのルートで往復できるようになった。仕事では交通事情を鑑みて、平常であれば16時、遅くとも18時には全員退社という対応が採られた。お客様の規模が大きく、システムを止めると全国にある支社・支店の業務に支障が出ることから、あくまでも安全を優先した上で、可能な限り出社するというスタンスである。ツイッターでも「自粛より経済を回そう」というつぶやきが増えてきたころで、早く帰りたいという欲求と、頑張れるんだから頑張るという意地と、相半ばした。
好きな事をやれるから、やる。
節電しないと詰み、という状況の中で、楽器が好きな私は Tp. を引っ張り出した。プラクティスミュートかヤマハ サイレントブラスを使えば迷惑にならないので、音を出していた。その間もラジオは点けっぱなし、インターネットではツイッターと USTREAM の中継は立ち上げていた。ラジオについては全て電池駆動の単体機で、同居人がラジオ番組のファンであることと、私がラジオのファンであることから、互いに1つずつプラス据え置きで1つという盤石の態勢である。その音でごまかすようにして楽器を鳴らす。そうしてないと落ちつけなかった。
そうしたところ、19日にチャージフリー、誰でも参加できるライブイベントがあることを知った。過去に何度か行った事があり、そのうちの何度かは自ら演奏もしたことがあるお店。以前デュオをお願いしたこともあるKO.DO.NA氏が出演するとあり、持てる限りの楽器を持って行った。演奏というかパフォーマンスで自分の無事を噛み締め、被災地の復興を祈願した。
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